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連載・特集

「がんす横丁」シリーズ 續がんす横丁 (一)はしがき㊦

文・薄田太郎 え・福井芳郎

 筆者が「がんす横丁」を書きはじめるまでは、一向にそんなことを考えもしなかったことであるが、最近、資料集めに墓地内を歩く度ごとに(墓碑銘となった)かつての知人や友人に会えるようになったのは、どうした不思議であろうかと思っている。

 因縁めく話のようであるが、かくまでもかつての知人が、身近な土地に眠っているとは思わなかったのに、思いがけないところで彼らの墓標に接するのは、しょせん原爆のなせるワザかと嘆息するのは、筆者だけではあるまいと思う。外来者たちが「世界の広島」だと事もなげにいっている言葉は、一番キザな言い方だと筆者は思っている。

 二カ月いろいろ、そのかみの広島の資料を集めているうちに、少しでも明るいよもやま話を集積してみたいと思った。そんなワケで西部編のうちには、がんす横丁から一歩飛び出した思いがけない話、言うならば脱線話も出てくると思うが、このあたりは一応、読者諸氏のご了解を得たいと思う。

 確かに東部と西部とは御供船行事の一つにも自(おの)ずからなる違いがあって、大きくはそれぞれの町の気風がそのまま書けたらと思う。

 例えば観音グラウンド以来の広島での野球挿話も、その一つであるかも知れない。野球ファン列伝や、ホームラン物語。

 時には寿座、新天座という名の劇場での芝居ばなしもかなり出てくるかも知れない。西部では、「おでんさん」のような名物男の話も必ず書かなくてはならないと思う。旧市場、新市場の変遷から西地方(にしじかた)町の広島花柳界のこぼれ話なども、出来るだけ本稿に織り込みたいと思う。

 出来るだけ各町内別に、かつてのヒロシマの姿を書き綴(つづ)りたいと想(おも)うが、それにつけても筆者は正直なところ、あまりにも西部方面を知らなすぎるようで、所期の効果が挙げられないかも知れぬが、幸い福井芳郎君の挿画が前回以上に「がんす横丁」を復元して呉(く)れることであろう。

 この連載は、1953(昭和28)年7月から9月にかけて中国新聞夕刊に掲載した「続がんす横丁」(第1部)の復刻です。旧漢字は新漢字とし、読みにくい箇所にルビを付けました。表現は原則として当時のままとしています。

(2019年1月13日中国新聞セレクト掲載)

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