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連載・特集

「がんす横丁」シリーズ 續がんす横丁 (二)本通りの話(その1)㊤

文・薄田太郎 え・福井芳郎

 広島の花道的存在である本通りも、さすがに最近は立派なハナミチとなったものと思う。かつての電柱が姿を消したのと同時に、道幅が一回りも広くなって、明治時代にみかけた各商店の標旗がハナミチ上の空間を飾っているのは、戦後の思いがけない豊かな風景である。

 趣向をこらした各商店のネオン灯に至っては、本通りという名の花道を華やかに照らし出している。そして登場人物、とくに女性の服装は素晴らしい限りである。

 筆者の子供時代の思い出の本通りには、これと言った飾りのない黒塗りの円太郎馬車が走っていた。馭者(ぎょしゃ)台からピンと張ったムチが時々ニブイ音をたてて、国道の泥沼に車台を嚙(か)ませて、大きく動揺をみせていた。

 後入口の垂れ下った台に、黒ズクメの綿服を着てジカ足袋をはいた助手が、品のないキャップを被(かぶ)って身軽に乗っていた。時々、車の窓ワクに左の腕をからませ、右手に真鍮(しんちゅう)製の小型ラッパを握り、これを口にあてて円太郎馬車独特の挽歌(ばんか)を聞かせたものである。

 木製の人力車もこの本通りには幅を効かせた乗物で、梶棒(かじぼう)を突き当てた車夫同士のケンカも珍しくなかった。円太郎馬車にぶらさがった助手のキャップ姿や人力車夫のまんじゅう型のかぶりものも、あのころの本通り風景にはなくてならないものであった。商店の店先に高く積みあげられた白地の中国風カバンの印象も忘れられない。

 本通りの人の往来にもいろいろあって、夕方にみられたお葬(とむら)い風景も思い出される。日によっては播磨屋町あたりを進んでいる行列の前には、別の行列が先行している。すると直(す)ぐ後には別の行列がえんえんと続く。肩に担いだ花筒の列がゆれている。

 この連載は、1953(昭和28)年7月から9月にかけて中国新聞夕刊に掲載した「続がんす横丁」(第1部)の復刻です。旧漢字は新漢字とし、読みにくい箇所にルビを付けました。表現は原則として当時のままとしています。

(2019年1月20日中国新聞セレクト掲載)

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