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社説・コラム

天風録 『ヒロシマの顔』

 毎年の賀状には、核兵器廃絶への決意がユーモラスにつづられていた。ある年にはこんな言葉。〈九十才代でお迎えが来たら、も少し待ってくれと泣きつこう/百才になってお迎えが来たら、そろそろOKしようかなと思う/平和の仕事が残っている。も少し生かしてほしいね〉▲差出人は、日本被団協代表委員を務めた被爆者の坪井直さんである。96歳での訃報が届いた。「ヒロシマの顔」として、原爆にむしばまれた身をもって反核平和を訴え続けた半生だった▲20歳で被爆し、生死をさまよう。奇跡的に回復してからは教壇に立ち、若い世代に体験を語った。請われて運動に参加するようになったのは退職してから。日本政府に被爆者援護を求めるとともに、世界のヒバクシャとも手をつなぎ、核の非人道性を訴えた▲高齢や病を押して世界を飛び回るようなバイタリティーの裏で、「顔」としての重責を一身に背負っていたのだろう。現職の米大統領として初めて広島を訪れたオバマ氏と対面して以降、表舞台からは遠ざかっていた▲核なき世界の実現に向け、まだまだ言いたいことがあったに違いない。お迎えに「待って」と泣きつきたかったのは残された私たちだ。

(2021年10月29日朝刊掲載)

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