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坪井さん遺志 継承誓う ゆかりの若者や教え子 核廃絶「託された」

 広島県被団協の理事長を務め、被爆者運動の先頭に立った坪井直さん(24日に96歳で死去)の訃報から一夜明けた28日、ゆかりの人たちは核兵器廃絶への思いを新たにした。平和な世界を訴え続けた姿を思い起こし、遺志の継承を誓った。

 「坪井さんが亡くなっても核兵器廃絶の願いは僕の中に生き続ける」。慶応大3年高橋悠太さん(21)=横浜市=は力強く語る。盈進中高(福山市)の部活動の一環で坪井さんの歩みを冊子にまとめた。2日間、計5時間にわたったインタビューで、瀕死(ひんし)の重傷を負いながらも生き延び、被爆者差別を経験してなお、平和を訴え続けた半生に触れた。

 今、同世代の若者たちと核兵器禁止条約などへの考えを国会議員に問う活動を続ける。「坪井さんの半生を胸に刻んだ者として、一人でも多くの人に廃絶の願いを届ける」と話す。

 高橋さんの仲間もそれぞれに訃報を受け止める。会社員橋本瀬奈さん(23)=福山市=は東京の大学に進学後、学内で核兵器廃絶の署名活動をした。「私たちは託されたと思っている」。手には今も、坪井さんと交わした握手の力強い感覚が残る。立命館大4年の高橋和(あい)さん(22)=京都市北区=は来春、テレビ番組制作会社への就職を予定する。「被爆地広島を伝えたい」と見据えた。

 坪井さんは教諭時代、被爆体験を語り「ピカドン先生」とも呼ばれた。「お穏やかさと厳しさを併せ持つ先生だった」。中学時代に坪井さんの教え子だった榎千恵さん(77)=南区=は振り返る。同級生の村上美鈴さん(77)=同=と卒業後もたびたびクラス会を開き、坪井さんを囲んできた。

 坪井さんが険しい表情を見せたのが、生徒の差別的な言動を知った時だった。「自分と違うという理由で不当な扱いをしてはいけない」。厳しく諭し、クラス全体で話し合った。「戦争につながる差別はいけないとの姿勢を先生から学んだ」と村上さん。平和を希求し続けた恩師をしのんだ。(小林可奈、明知隼二、樋口浩二)

(2021年10月29日朝刊掲載)

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