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連載・特集

「がんす横丁」シリーズ 續がんす横丁 (四)平田屋町(その1)㊦

文・薄田太郎 え・福井芳郎

 当時の広島がんす横丁の生態をそのまま写した「広島案内記」(「広島諸商仕入買物案内記並(ならび)に名所志(し)ら遍(べ)」)は、今や唯一のモニュメントとなっていると思う。

 この本には、当時の主な商家が軒並みに銅版画で刷られており、一例をあげれば平田屋町の角にあった「まんぢゅう所」虎屋は、「ほり川町平田屋川筋西かど、とらや」と書いてあり、三本竹の組み合せで中央に虎の字が染め抜いたノレンが掛っている。店の前には鈴蘭(すずらん)灯ならぬ大時代の街灯が二本あって、奥まった中央の看板には「とらやまんぢゅう」、左に張りボテの大虎が首を振っている絵が描かれている。

 こうした広島名物の描写には、編集人渡辺萊之助のアイディアが各ページに見られて面白い。因(ちな)みにこの平田屋町につながる堀川町の虎屋は、元和五(1619)年、旧藩主浅野氏が紀州より入城の時、藩主に従って広島入りをした虎屋伝三郎以来のものである。

 なお、大正十年まで平田屋町の国道入口を見おろしていた油屋中忠の大看板も忘れられない。あの美人画の看板は、当時の名物男で大手町五丁目にいたづぼらや南方東洲氏が描いたもので、初代、二代目の看板を見た広島人も少くないと思う。

 大看板の下にあった中忠の飾窓も立派で、中にはすみれびんつけ油や、誉の代という椿(つばき)油が陳列してあった。忘れられないのは、このガラスの張ってある飾窓の前には太い真ちゅう製のワクが取りつけられて、直接このガラスに頭をぶつけないような仕方になっていたことだ。

 子供当時の筆者たちは、この真ちゅう管のワクにかぶりついてウィンドウを見たものである。身軽な仲間はこのワクに足をかけて鉄棒代りに曲技を見せたもので、これはと言った本通り商店のウィンドウには、例外なしにこの真ちゅう管のワクが施されていた。

 再び「広島案内記」の話になるが、この本に載せられた商店の数は、町別に堀川町が二十軒、大手町が十八軒、平田屋町が十五軒、播磨屋町が八軒、鳥屋町が七軒、東横町、革屋町がそれぞれ六軒という具合で、ページ毎にその頃の姿が描かれている。

 なお、当時の商店街の話題としては、橋本町が毎月五日間大安売りをしていたが、平田屋町は毎月十五日から三日間にわたって大安売りを行い、お添えものとして景品を出して、広島人の人気を博していたという。

 この連載は、1953(昭和28)年7月から9月にかけて中国新聞夕刊に掲載した「続がんす横丁」(第1部)の復刻です。旧漢字は新漢字とし、読みにくい箇所にルビを付けました。表現は原則として当時のままとしています。

(2019年3月3日中国新聞セレクト掲載)

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