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社説・コラム

『潮流』 大逆事件の「図」

■論説委員 森田裕美

 墨で描かれた12人の肖像の頭上から、絞首刑の縄が下がる。そばに記された数字は刑死時刻だという。「原爆の図」で知られる丸木位里・俊夫妻による大作「大逆事件」。原爆の図丸木美術館(埼玉県東松山市)でいま、特別公開されている。

 明治天皇暗殺計画に関与したとして、無実の人を含む多くの社会主義者らが旧刑法の大逆罪に問われ、処刑、投獄された事件。ことしは首謀者とされた幸徳秋水の生誕150年、刑死から110年の節目に当たる。それに気付いてから、以前対面したこのおどろおどろしい「図」が、頭に浮かんで離れなくなった。

 事件は、当時の国家にとって都合の悪い思想や言論を抑え込むためのでっちあげだったとされ、連座した人々のゆかりの地では近年、名誉回復も進む。改めて秋水の著作に目を通すと、自由や平等、非戦を説いたまっとうな主張にうなずく。異論が危険視され、命まで奪われた時代を思うと胃がキリキリと痛んだ。

 蒙昧(もうまい)な時代の昔話だと突き放すわけにはいかない。海の向こうでは同様の事態が進行中である。政権に批判的な言論を抑圧する国は中国をはじめ、続出している。日本も政府方針に異論を唱えた学者を日本学術会議の会員として任命しないままだ。

 丸木夫妻の共同制作は、自らが直接体験していない、きのこ雲の下の惨状を描くことに始まり、沖縄や南京、アウシュビッツなど戦争がもたらす暴力へ。やがて公害など社会構造が生む間接的な暴力にも広がった。残された作品はいずれも、過去の他者の痛みを「わがこと」として考えさせるための巨大装置のよう。

 大逆事件の「図」の創作もそうした延長線上にあったのだろう。この作品について位里はこんな言葉を残す。「今日の問題として一遍も二遍も登場してもらって、皆さんと考えてゆこうではありませんか」

(2021年10月30日朝刊掲載)

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