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連載・特集

「がんす横丁」シリーズ 續がんす横丁 (十一)革屋町(その2)㊦

文・薄田太郎 え・福井芳郎

 多山恒次郎氏の関連で今もって話題となっているのは大正十一年九月十二日、町内に大火があったさい、町総代多山氏宅に非常用として備えつけてあった私設防火センで類焼をまぬがれたのを機会に、翌年十月八日に全国最初といわれた町設防火センを設備したことであった。同氏も明道中学出身の広島財界人中の一人で、広島スポーツ界の先輩で「あけぼの会」をも牛耳っていた。

 また、大正十年前後から中国、芸備両紙の同情欄に“かすみ生”と“むらさき生”の名前で「哀れな家庭」「路頭に迷う母子」などに同情金を贈った人がいたが、「むらさき生」というのは多山恒次郎氏の雅号「紫雲」に因(ちな)んだものであった。なお「かすみ生」は森脇喜兵衛氏の雅号「霞洞」に因んだもので、この隠れた二人の篤志家の本名は、今もって昔の広島人は知らないであろう。

 赤穂義士の追悼碑を国泰寺境内に建てたのも多山氏の肝入りであった。広島瓦斯電軌の常務理事を最後に広島実業界を引退されたと聞くが、長年革屋町のために力を尽した同氏のことを忘れてはならないと思う。

 それではさらに昭和十七年の軒並み散見をつづってみよう。

 北側は東から東京堂洋品店、松風堂菓子店、ヨシヤネル服地店、川崎第百銀行、山脇呉服店、昭和ラジオ商会、金正堂書店、その二階は広楽食堂、桑原釣具店、順勝寺小路を越して山本靴店、桐山メリヤス雑貨店、(以下三軒不明)、本岡金物店、増田帳簿店、渡部別嬪店、安田生命支店。

 南側東から三井銀行支店、米山メリヤス雑貨店、(以下二軒不明)、丹羽蓄音器店、福助屋雑貨店、明治堂菓子本店、井上子供服店、熊平金庫店、(以下一軒不明)、沖野呉服店、木村屋パン喫茶店、志村小間物化粧品店、山村宮島物産各国漆器店、松本履物店で、電車道まで三軒不明。電車道といえば、この南側の軒並みの最後には、原爆後八年ばかり焼けたままの交通信号燈が立っていた。

 この連載は、1953(昭和28)年7月から9月にかけて中国新聞夕刊に掲載した「続がんす横丁」(第1部)の復刻です。旧漢字は新漢字とし、読みにくい箇所にルビを付けました。表現は原則として当時のままとしています。

(2019年7月7日中国新聞セレクト掲載)

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