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連載・特集

「がんす横丁」シリーズ 續がんす横丁 (十三)東横町(その2)㊤

文・薄田太郎 え・福井芳郎

 演芸館では活動写真も封切りされたことがある。大正六年二月に大毎、東日に連載された菊池幽芳作の小説「毒草」は全国的な人気を集め、当時の映画製作会社日活向島派、天活、大阪山川興行部小林商会・井上一派、小林商会連鎖劇の四社で、この「毒草」を競作したが、広島では当時の八丁堀千日前の太陽館に立花貞二郎の北川お品、母お源は五月操、土手の福は横山運平という顔触れの作品が上映され、日本館には天活モノで桜井武夫の北川お品が上映されて「毒草」競演が行われた。

 ところが一方、小林商会は木下吉之助の北川お品、井上正夫の母お源、梅島昇の島田紫水、藤村秀夫の土手の福という配役で同じものが撮影され、それが日活と天活を向うに回して広島での三社競演という現象を呈した。

 ゆくりなくも井上正夫一派が出演した「毒草」は演芸館で上映されることになり、そのころ昼席(マチネー)は日曜、祭日に限られたものが、この「毒草」上映中は、各映画館とも連日マチネーをやったようで、とくに演芸館の「毒草」は八丁堀界隈(かいわい)の人気をさらったように聞いている。

 もちろん、この活動写真には、声色お囃子(はやし)づきの演出が行われた。この幽芳作の「毒草」は一種の血なまぐさいシーンが喜んで描かれたような小説で、復讐(ふくしゅう)に燃えるお源という老婆が息子の嫁お品を虐待し、ついに彼女を物置小屋に呼び寄せて、古いカマのような鈍器で惨殺するという、およそ楽しいすじではなかったが、不思議にこの劇が一般に受けたのは、今もってその原因がわからない。

 「毒草」の新聞の連載小説の人気は大したものであった。連載小説といえば大正四年ころ、中国新聞の愛読者を感激させたものに、作者は忘れたが「渦巻」があった。この小説も天活が撮影して日本館で上映し、着物や帯にも「渦巻」模様が幅をきかせた。本通りの呉服店の飾り窓にも、この商品が陳列されて好評を博したが、それよりも大阪のある「まんじゅう屋」さんが東横町、紙屋町入口の角に店を開いて、「渦巻まんじゅう」を売り出して、新聞小説の人気にあやかったことがある。

 この渦巻まんじゅうは、初め鉄板にメリケン粉をとかしたものを渦巻型に流し、それがほどよく焼けたところを、別のアン入りまんじゅうの表面に、この渦巻型を重ねて焼き込むという手の込んだものだった。

 この連載は、1953(昭和28)年7月から9月にかけて中国新聞夕刊に掲載した「続がんす横丁」(第1部)の復刻です。旧漢字は新漢字とし、読みにくい箇所にルビを付けました。表現は原則として当時のままとしています。

(2019年8月4日中国新聞セレクト掲載)

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