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連載・特集

「がんす横丁」シリーズ 續がんす横丁 (十三)東横町(その2)㊦

文・薄田太郎 え・福井芳郎

 東横町の紙屋町入口の角にあった「渦巻まんじゅう」の店は、五、六人の若い職人が、割烹(かっぽう)着に赤鉢巻姿で、それぞれの鉄板の前で夕方時分には大車輪の動きをみせていた。連載小説「渦巻」が醸し出した本通り風景の一コマであった。

 その後といっても二年後の大正八年ごろに、演芸館で日本労働連盟の政談演説会が開かれたことも忘れられない。大人ばかりのこの会合に、子どもだった筆者はどうしたつもりであったのか会場費五銭を払って入場したことを覚えている。

 最初の弁士には、闘士高津正道氏、次いで西尾末広氏、「死線を越えて」の著者賀川豊彦氏、それにモーニング姿の紳士鈴木文治氏で、さすがに高津氏も賀川氏も若かった。この政談演説会というものが、この演芸館でしばしば繰り返された。その後この定小屋がどのようになったかよく判らないが、原爆前には倉庫になっていたように思う。

 横町勧商場の焼跡には、昭和二十二年三月二十六日から広極商店街が建設されて、一週間にわたって広極復興祭が行われた。地球儀を中心にしたようなネオンアーチが商店街入口に建てられて、本通り復興譜をネオンの色で描き出した。

 その後、この勧商場のつき当りにあった元広島別院所有の説教所と墓地の焼跡には、昭和二十五年十二月三十日に「広栄座」が落成したが、同時に焼跡の無縁墓碑は鷹匠町の法縁堂に移されたいきさつについては、後にゆずるとしよう。ストリップ・ショウの名物は別として、この東横町のネオンの復興は、戦前にも増したものである。

 例によって、あのころの思い出の軒並みを、昭和十六年のメモによって、つづってみよう。

 北側を東から電車道に面した加茂洋服店、水戸薬品店、イシザキ果物、喫茶店、紙屋町筋を越して高橋呉服店、ツモリヤ洋カサ、ショール店、一軒おいてマルヤ鞄店、友田誠真堂書店、鴨喜小間物、化粧品卸商、ちちぶや呉服反物店、ちどりや履物店、勧商場入口があって、梶山雑貨店、三井物産支店、高橋呉服実用綿布店、木村文具店、第一銀行支店。

 南側東より長崎屋食料品店、木村国勢堂糸物度量衝店、塩屋町筋をへだてて寿美多屋菓子店、積善館書店、新柄屋呉服店、一軒不明、てんぐ半襟店、てんぐ洋品雑貨店、米田文具店、丸山鞄店、高砂屋刃物店、西村善鞄袋物店、丸山時計店、久保山城園茶舗、三和銀行支店、次いで大手町筋になる。

 この連載は、1953(昭和28)年7月から9月にかけて中国新聞夕刊に掲載した「続がんす横丁」(第1部)の復刻です。旧漢字は新漢字とし、読みにくい箇所にルビを付けました。表現は原則として当時のままとしています。

(2019年8月11日中国新聞セレクト掲載)

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