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連載・特集

「がんす横丁」シリーズ 續がんす横丁 (十四)西横町(その1)㊥

文・薄田太郎 え・福井芳郎

 広島斯文会講義の筆記などを発売していた以文社が西横町に店を構えて、堀川町の荒木氏(後に荒木楽器店となった)が本願寺蔵版物を販売したのと好対照であった。この以文社は印刷所を大手町二丁目に置き、さらに製本所を細工町に置いて商売も繁盛したという。当時の広島人が書籍に関心を持っていたという反応にもなるワケである。

 明治三十年の広島地図によると、東横町には鴨谷喜兵衛氏が加茂屋の萬小間物卸問屋、同じ東横町の壬生儀三郎氏の日進堂が舶来雑貨商として記録されており、三十四年版の地図には東横町の久野米治郎氏が久野時計商会として時計商の店を出している。同じ町内の桐原幾造氏が丸倉印を屋号にして内外雑貨を扱っていた。

 西横町六十三番邸井上禎助氏の博真堂が内外雑貨、吉田佐太郎氏の松本商店も内外雑貨を扱って、また本岡安治郎氏の加古屋支店が金物を扱っていた。また東横町の今昔話になるが、南側の店には勝田高級家具店、坂本洋品店、商工倶楽部に並んだ西寄りには友田書店支店、狂言で名を知られた木村吉助氏の文具店があった。

 南側には明治九年二月、大手町二丁目の角に第一区広島警察出張所が置かれ、その隣りには田部という博多帯を織る機械を陳列して、その工作過程を一般に公開した店があった。再び東横町になるが、塩屋町に並んだ寿美多屋菓子店の前身には岡部金襴緞子(きんらんどんす)店があり、その隣りには広島元祖の三浦ベッ甲眼鏡修理店もあった。

 西横町になると、南側には鳥屋町入口に近く、熊平福蔵氏の呉服店、岡仙商店、木定商店、鳥屋町小路を隔てた高級雑貨の勉強堂、友田支店の前にあった若狭屋などもこの界隈(かいわい)では古い店であった。

 商工倶楽部が西横町の中央を猿楽町、大手町一丁目まで貫通して三十五戸の商店街で出来あがったのは明治二十二年五月だった。南側に岡仙を中央に鳥屋町小路を曲って岡仙勧商場が設置されたこともある。鳥屋町入口の勉強堂の隣りには、後に北側に移転した大島氏のすみだや袴(はかま)店があった。このあたりの話は大体明治十年から大正、さらに昭和へかけてのものである。

 この連載は、1953(昭和28)年7月から9月にかけて中国新聞夕刊に掲載した「続がんす横丁」(第1部)の復刻です。旧漢字は新漢字とし、読みにくい箇所にルビを付けました。表現は原則として当時のままとしています。

(2019年8月25日中国新聞セレクト掲載)

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