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連載・特集

「がんす横丁」シリーズ 續がんす横丁 (十六)西横町(その3)㊦

文・薄田太郎 え・福井芳郎

 溝口のお柳さんの生家に彫刻家波木井昇斎が居候をして、立派な作品を残した。この波木井昇斎や三村羅風などのように、いわゆる他国者でもスッカリ広島人に馴染(なじ)んだ人もたくさんあると思う。他国人でありながら広島に何かとコウケンした人たちのことを綴(つづ)ることも忘れてならないと思う。

 例によって昭和十六年の西横町の商店街を書き綴ってみよう。

 大手町一丁目の角の伊原青陽堂のあとには河野金物店、西へ並んで京屋半襟店、すみだや袴(はかま)専門店、吉坂眼鏡店、片山洋服店、めいせん屋呉服店、小林蓄音器店、マルデンラジオネオン店、ニシナヤコーヒー店、てんぐ袋物化粧品装身具店、宍戸時計店、たるや足袋本店、一軒不明、丸佐呉服店、大津屋小間物化粧品店、ハリマヤもすりん洋反物店、おび真帯本店。この本店は、明治三十年の創業で、同店の電話は一番という宣伝と共にその包紙はなかなかに珍しいもので、広島の伝説が次のように描かれていた。

 お三キツネの旧跡空鞘神社について、吉岡一味齊と佐々木巌流との試合で、途中巌流の刀のサヤが沖天高く飛びあがったという伝説が面白く描かれてある。白島三軒家に現れたお化けのつづの木の話や、国前寺の稲生武太夫の話も描かれている。妖怪のツチをこの寺に納めた遺族が三川町に現在も住んでいるというものもあった。お三堂からの江波名物「お三あめとお三まんじゅう」も描かれた名物の包紙であった。

 隣は丸米屋の履物店、小大丸メリヤス雑貨店。細工町角の常友綿店、南側の大手町二丁目角はわかさや足袋、室尾装飾店、一軒不明で牛尾呉服店、東京じまん堂雑貨店、岡仙玩具店、つるや菓子喫茶店、沢田洋品店、木定食料品店、鳥屋町小路、勉強堂洋品雑貨店、あたらしやモスリン友仙店、亀屋雑貨店、浅野洋品雑貨店、今中家庭用品店、財満時計店、安原東京袋物店、山金陶磁器店、丸一引地寝具店など。

 この連載は、1953(昭和28)年7月から9月にかけて中国新聞夕刊に掲載した「続がんす横丁」(第1部)の復刻です。旧漢字は新漢字とし、読みにくい箇所にルビを付けました。表現は原則として当時のままとしています。

(2019年10月6日中国新聞セレクト掲載)

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