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連載・特集

「がんす横丁」シリーズ 續がんす横丁 (二十)慈仙寺(じせんじ)㊤

文・薄田太郎 え・福井芳郎

 中島本町にあった慈仙寺の本尊は阿弥陀如来で、浄土宗西山派京都東山禅林寺と西山光明寺西本山の末寺で、広島藩時代には誓願寺と交番で筆頭になったこともある。

 毛利元就の時代には高田郡吉田町にあったが(開山は僧静雲)、二世活慧の時、すなわち慶長十三(1608)年九月に福島正則に招かれて新川場町に寺地を貰(もら)って翌年四月に移転、さらに翌十五年二月に本堂を現在地に移したものである。

 この寺で有名なのは、文化年間に描かれた縦三間(約5・5メートル)、横二間(約3・6メートル)の「おねはんさんの図」で、毎年陰暦二月十五、十六日の二日間、寺の境内に掲げて善男善女の参詣でにぎわったものである。筆者たちは幼少のころから、この「ねはんの図」を毎年見せられたもので、陰暦五月十六日新川場町戒善寺境内で公開された「六道の大図絵」(地獄極楽の絵図)とともに、今もって忘れられぬ印象をつけたものである。

 祖母の命令で、定式の諸口で作られた紙袋に御鉢米を入れて参詣して、この「ねはんの図」を見たもので、あらゆる鳥獣がネハンの死を悲しんでいるのに、猫だけはこの絵の何処にも姿を見せていないと祖母に言われて、子供心に克明に鳥獣の中に猫の姿を探したが、流石に猫は見られなかった。

 ネハンの死にどうしたわけで猫だけが姿を見せなかったかと、重ねて祖母に尋ねると、猫だけは魔性のモノだからネハンを恐れて姿を見せなかったと言い聞かされたことを思い出す。そして、犬は三日飼えば三年も主人の恩を知っているが、猫だけは三年飼っても三日の恩も知らないということを、ネハンの図を前にして言い聞かされた。

 毎度引き合いに出すが、明治十六年十月に発行された「広島案内記」にも、この慈仙寺のネハンの縁日風景が克明に描かれている。編集人の渡辺萊之助氏のことは既に書いたとおり広島の出身だが、先ごろ広島在住の日本画家K氏の来訪を受けて、渡辺萊之助氏の子孫に当たる渡辺善一氏が袋町のある舎宅に居られることを知らされて、いまさらながらがんす横丁の因縁をしのんでいる。

 この連載は、1953(昭和28)年7月から9月にかけて中国新聞夕刊に掲載した「続がんす横丁」(第1部)の復刻です。旧漢字は新漢字とし、読みにくい箇所にルビを付けました。表現は原則として当時のままとしています。

(2019年12月1日中国新聞セレクト掲載)

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