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連載・特集

「がんす横丁」シリーズ 續がんす横丁 (二十一)松井須磨子を偲(しの)んだカフェーブラジルでの会合(その1)㊤

文・薄田太郎 え・福井芳郎

 広島での新劇の記録は、大正四年の夏、芸術座がトルストイの「復活」をもって、たたみや町に現れた時にはじまる。

 芸術座としては同じ「復活」でその前年東北、北海道を巡業しているだけに、二度目の旅興行であるが、松井須磨子の「カチューシャ可愛いや」の唄は、鷲印レコードで前年の暮に革屋町あたりの店にデビューしてスッカリ人気を集めていた。

 立花貞二郎と関根達発の日活モノが八丁堀の太陽館に上映され、一方では毎夜のように八丁堀の街角にいた艶歌師たちによってこの歌が繰り返された。さすがにカチューシャの名は、トルストイよりも有名になって、寿座前には長い列がつづいた。つまりは全国を歌でフウビした女優松井須磨子に魅せられた広島のファンで寿座も満員になった。

 何分にも二年来、手がけた彼女の持ち役だけに、お手々を叩(たた)いての「別れのつらさ」のポーズは、須磨子ファンに多大の感銘を与えたらしい。寿座の閉場後、新大橋近くにやって来た若い男女達が、期せずして幼稚園の先生よろしく両手を叩いて「カチューシャ可愛いや」の歌を歌って、橋を渡ったという。

 広島の新劇ファンは、この松井須磨子の影響を受けて、広島でも新劇団を組織しようという機運になって、広島文芸協会の創立に次いで広島十一人座という名の素人劇団が組織された。芸術座の妖精と言われた松井須磨子の広島来演を機会に、ツイに封建色濃厚な四十二万石の城下町ヒロシマに、大正七年、いみじくも素人劇団結成の機運がもたらされた。すなわち広島在住の各社新聞記者を中心に「広島舞台協会」が結成されて、公演のプランが立てられた。

 ところが、その翌八年一月五日には、芸術座の松井須磨子の自殺、四月には芸術座再度の広島来演で中山歌子の「カルメン」が寿座で上演されて、デルタ地帯新劇ファンの血をわかせたものである。

 この連載は、1953(昭和28)年7月から9月にかけて中国新聞夕刊に掲載した「続がんす横丁」(第1部)の復刻です。旧漢字は新漢字とし、読みにくい箇所にルビを付けました。表現は原則として当時のままとしています。

(2019年12月22日中国新聞セレクト掲載)

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