×

連載・特集

「がんす横丁」シリーズ 續がんす横丁 (二十一)松井須磨子を偲(しの)んだカフェーブラジルでの会合(その1)㊥

文・薄田太郎 え・福井芳郎

 広島に新劇熱をもたらしたものは松井須磨子の死が間接的に影響したもので、後年広島名物とまで言われた素人劇団十一人座は、松井須磨子あたりの舞台に魅せられた若い人たちで、素人劇団の創立が行なわれた。

 すなわち須磨子の亡くなった大正八年には、彼女の名声をしのんでの素人劇団が各地に組織されたと聞くが、広島十一人座もその影響をうけた一つの素人劇団であった。

 その年の十一月、当時の細工町国光生命支店の階上で、新劇愛好の有志だけで「十一人座」を創立したワケである。どうしたいきさつで十一人座という名の劇団にされたかと言うと、うわさはいろいろと伝えられているが、福山市のある演劇ファンから、広島十一人座はキリストの十一人の使徒になぞらえて結成されたと言うが、凡(およ)そこのグループにはキリストにゆかりのありそうな人物は一人もいなかった。

 と言うのは、大正八年十一月十一日夜、結成時刻が十一時、会する者十一人であったので数字の十一ずくしにあやかって「十一人座」と唱えられたにはじまる。

 座員は毎日の小田善作、朝日の山名正太郎、中野正夫、芸備日日の松子喜一、岡崎虫文、それに大上旭、竹田きよ、塩谷春平、中原和夫、広沢久雄、国光生命の伊藤某の十一人、中國新聞の主筆西川芳渓、ピカドンで物故された松井、森田両弁護士が顧問格として、その名が挙げられている。

 顧問格はとも角として、キリストの十一人の使徒と言われたカンジンの十一人は、それこそキリストとは、およそ由縁のない連中なので前記のフクヤマ説は誤伝であるというワケである。

 この連載は、1953(昭和28)年7月から9月にかけて中国新聞夕刊に掲載した「続がんす横丁」(第1部)の復刻です。旧漢字は新漢字とし、読みにくい箇所にルビを付けました。表現は原則として当時のままとしています。

(2020年1月12日中国新聞セレクト掲載)

年別アーカイブ