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連載・特集

「がんす横丁」シリーズ 續がんす横丁 (二十八)腐っても鯛の中島本町(その4)㊥

文・薄田太郎 え・福井芳郎

 元安橋を西に渡った南側のツケ根に洋服学校があり、その隣りはホシタ写真館、正視堂メガネ屋、メリヤス屋長行司(元東京堂)、片山写場があった。

 この写場では、日露戦争の当時、乃木希典大将が二人の愛児の写真を見に来たが、まだ焼き付けが出来ていないので、原版そのままを右手に持って記念撮影されたのが原寸大に引きのばして玄関に掲げられていた。

 その隣りは大津屋菓子店、後藤田銀行(元三十四銀行)、某下駄屋、そして右は慈仙寺への入口道路。

 また元安橋からの西突き当りは、向かって右から久保茶店、立野玩具店、福間洋品店、池尻蓄音器店、ヨシヤネル店、服部時計店(主人は野球ファンで謡曲の太鼓の名手であった)、亀田屋三絃店、中島観商場の入口(鶴の席の入口とも言われた)、山本靴店、三宅薬店、矢野靴屋、元住友銀行支店、佐野印刷店と紙屋、右側に小路があってその突き当りには、鑑定室を設けて若い書生が客の呼び込みをやっていた姓名判断所があった。その隣りは三階建ての鉄橋楼で、隣りは本川橋につづく。

 また本川橋近くの南側は、西から崇徳銀行支店、向井漆器店(主人は謡曲の能管の名手であった)、菅井呉服店、二井谷呉服店、久保木文具店、菓子店、天満屋糸店。隣りの小路は材木町の字で、中島本町より南方元柳町を横切って材木町に抜けるところは両替小路。昔から有名な両替店が並んでいたため、この名称が残っている。

 この小路の東角は菓子屋、橋本モスリン店、安原小間物店の順であった。もっとも、この界隈(かいわい)の商店は、ほとんど筆者の記憶から消えているので、読者諸君の大方の判読をお願いする。また中島集散場の入口第一号には、オットセイで作った薬を売る後藤という薬屋があり、その隣りには琴、三味線の三田屋があった。

 この連載は、1953(昭和28)年7月から9月にかけて中国新聞夕刊に掲載した「続がんす横丁」(第1部)の復刻です。旧漢字は新漢字とし、読みにくい箇所にルビを付けました。表現は原則として当時のままとしています。

(2020年5月10日中国新聞セレクト掲載)

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