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連載・特集

「がんす横丁」シリーズ 續がんす横丁 (三十)材木町(その1)杉原鉄城大人㊥

文・薄田太郎 え・福井芳郎

 ニックネームを「牛」(カウ)と言ったK君が、高木しるこ本店を出たトタンにのびてしまった。というのは、この店は、ぜんざい十杯を平らげたお客サンには、金を取らなかったので、新記録を作った彼はトタンにボウとしたらしい。

 恐らく昔の高木しるこ本店で、とにも角にも、十杯を平らげたのはこのKというお客サンだけであろうと思うが、筆者たちはこのKの「牛」ぶりの新記録には、呆(あき)れたものである。

 その「牛」が下宿していた材木町のT氏の家には、広島市会議長だった永田百太郎氏や筆者たちが、この同級生「牛」を訪ねて度々この家の門をくぐったものである。

 ある日このT家の座敷で「牛」がサカンに一人の壮漢を相手に議論を交わしている。この壮漢は、佐伯郡宮内村の出身で、当時広島の名物男として知られた「未来の内閣総理大臣」と言われた、杉原鉄城大人であった。この鉄城氏とは、その後もこのT家で度々顔を合わせたが、ある時鉄城大人が肌身離さないといっては大ゲサであるが、紫色の小風呂敷に包んだ大人の宝物を見せてくれた。

 この宝物は、鉄城大人がいつも左に座を占めて斯界(しかい)の有名人と一緒に写した写真であった。さすがにこれら一連の有名人と並んだ写真では、いずれも鉄城大人が主役といった感であった。

 西園寺公望、桂太郎、清浦奎吾等一連の有名人と同時に撮影をした鉄城大人の姿は、流石に立派であった。紫色の絹表紙のこの写真帳は十冊以上もあったようで、いずれもが彼の美ゼンを颯爽(さっそう)となびかせ、筒袍の大島絣のキモノ白縮緬の帯を結んだ勇姿は、大西郷の舎弟、西郷従道氏の写真とソックリであった。

 彼は広島ばかりでなく、中央すなわち東京でもその奇人ぶりは有名であった。鉄城氏は切符なしで堂堂と二等車に乗れたもので、先(ま)ず駅長室に入って列車を待っている。やがて時間が来ると、駅長自身が彼を案内して列車に乗せたという話は、今や昔話のブルイになるが、それほど彼は鉄道関係では顔(メン)の通った大人であった。

 この連載は、1953(昭和28)年7月から9月にかけて中国新聞夕刊に掲載した「続がんす横丁」(第1部)の復刻です。旧漢字は新漢字とし、読みにくい箇所にルビを付けました。表現は原則として当時のままとしています。

(2020年6月21日中国新聞セレクト掲載)

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