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「あの日」の記憶 山形で継承 被爆証言 映像作品に 住民の会 鶴岡の小中学校に配布

 山形県鶴岡市の住民でつくる「地元の戦争体験者の証言を記録する会」が、県内に唯一残る被爆者団体「つるおか被爆者の会」の会長を務める三浦恒祺(つねき)さん(91)の証言を映像作品にした。同市に暮らす被爆者が少なくなる中、広島で被爆した体験や平和への思いの継承に向け学校の平和学習や地域の平和行事で活用してもらう。

 「絵が伝える三浦さんの被爆体験」は約22分。小中学校の授業で教材として使いやすくなるよう2部構成にした。前編は三浦さんが被爆する1945年8月6日までの生活や世界を取り巻く戦争の状況を語る。後編で被爆直後の惨状や三浦さんの平和活動の一環で取り組む絵画制作を伝える。

 元教員ら7人で活動する「記録する会」は今年3月、三浦さんの自宅アトリエで証言を収録した。広島市中区の原爆資料館や広島県立文書館、中国新聞社などに残る原爆投下前後の映像や写真、被爆者の描いた「原爆の絵」など資料計約30点を交えて編集し、8月に完成させた。鶴岡市教委を通じて全小中学校に配布した。

 これとは別に証言全編をまとめた約38分の作品も制作。希望する団体に貸し出す。阿部博行代表(73)は「身近に暮らすお年寄りが遠く県外で戦争を体験したと知っている人は少ない。高齢化が進み、証言を記録するには今が最後だとの思いがあった」と振り返る。次作はシベリア抑留体験者の作品を予定する。

 三浦さんは被爆時、旧制広陵中2年生だった。建物疎開で出た荷物などを運搬する作業に動員され、トラックの荷台に乗って横川駅を通り過ぎて北進中、きのこ雲を目撃。南千田町の自宅に戻り入市被爆した。

 終戦後、両親の古里である鶴岡市に移り住み、1961年から被爆や平和をテーマにした抽象画「原爆の形象」をライフワークとして描き始めた。連作は44作品を数え、中学校での証言活動にも取り組んできた。

 つるおか被爆者の会は前身団体の結成から55年の月日がたち、現在の会員は三浦さんと当時2歳で被爆した女性の2人だけとなった。三浦さんは「自らの証言活動だけだと体力的にも限界がある。広く作品を活用してほしい」と願う。(桑原正敏)

(2021年11月8日朝刊掲載)

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