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連載・特集

「がんす横丁」シリーズ 續がんす横丁 (三十一)材木町(その2)かさもり大明神と正道稲荷大明神㊦

文・薄田太郎 え・福井芳郎

 余談だが、今の三田屋さんは九代目に当るというが、奇(く)しくも東洲斎写楽が描いた雲母刷の五代目団十郎そっくりのマスクであるのも奇縁であると思うのは筆者だけではあるまい。

 もともと、かさもりさんについては、昔の広島人が今もって「かさもり」を「傘守」の文字で表記しているのは、一年一度の祭が梅雨どきに行われるのと、それでいつの祭に出かけるのにもかさを持って出かけるために「かさもりさん」とシャレたものである。

 シャレついでに書けば、筆者たちの少年時代の思い出には、妙法寺の境内にあった「かさもりさん」の前には、花柳界の姉さんたちが若い妹たちを連れて、線香の煙がゆらぐうちに白い指先を合わせて願をかけている風景を見たが、錦絵でも見ているような光景であったことを思い出す。

 なお「かさもりさん」の信者は、小さなかわらけに小指大の泥でつくった乳房を二つ並べて願をかけたもので、満願の日にはこの泥製の小型の乳房を白色に塗ったものを納めたように記憶している。

 また満願記念には小型の額を「かさもりさん」に納めたものであるが、どうやらつくりものの乳房の形は女性を表徴したようなもので、「かさもり小路」にはこの造りものの乳房を売っている店が、かなりあったように記憶している。

 また、このかさもり小路では、金糸銀糸の帯を締めた若い芸奴が堺町あたりの問屋の次男坊と手を取り合って歩いた風景を思い出す。あの時の愛人たちの和服姿が、あの小さな街燈に照らし出された瞬間を思い出すが、これを言うなれば、大正時代の広島風俗の一コマであったかも知れない。

 この連載は、1953(昭和28)年7月から9月にかけて中国新聞夕刊に掲載した「続がんす横丁」(第1部)の復刻です。旧漢字は新漢字とし、読みにくい箇所にルビを付けました。表現は原則として当時のままとしています。

(2020年7月19日中国新聞セレクト掲載)

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