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連載・特集

「がんす横丁」シリーズ 續がんす横丁 (三十八)元柳町 二つの呉服店の話(その2)㊥

文・薄田太郎 え・福井芳郎

 昭和十六年の四月、広商二十八期生が主催した中央交響楽団(東京フィルハーモニー)の広島公演が当時の新天座で開かれたが、この交響楽団を招いたのは山脇さんであった。

 交響楽団が広島に来演したのは、FKが昭和四年の開局一周年記念に招聘(しょうへい)した新交響楽団(斎藤秀雄氏の指揮でビゼーの組曲「カルメン」とドボルザークの「新世界より」を放送した)以来のことで、さすがに前人気はあったが、一枚四円の切符の売行は悪かった。三日前に主催者側では市内の各中学校、女学校を訪ねて学生一人一円二十銭という割引で交渉した。

 このため、当日の入場者はほとんど中学生で、入場者の列は新天座前から新天地西入口の中忠前までえんえんと続いた。それがために所轄の警察から係員が派遣されて行列を整理したほどである。

 当日の楽団の指揮はグルリット氏で、独唱は牧嗣人氏であった。牧氏は紋付羽織という珍しいイデタチで舞台に立った(後に牧氏は宇品の陸軍運輸部に召集されて、凱旋館での慰問演奏会の面倒をみたという)。

 当日の二回にわたっての演奏会は満員の盛況ではあったが、割引の学生を入れ過ぎたために、主催者側は欠損となって、六人の幹事で一人当り七十円ずつを出してこれを補てんしたという。

 なお、この演奏会に出演した牧嗣人氏への謝金ははじめ六百円だったが、主催者側の都合で二百円での値段で取引した。あれほどの満員にもかかわらず、前述の通り入場料のあがりが少なかったために、予定以上の額が払えなかったとのことである。

 また、新天座での演奏会前には、陸軍病院で白衣慰問の演奏会も行われたが、そのときのタクトは早川弥左衛門氏であった。

 この連載は、1953(昭和28)年7月から9月にかけて中国新聞夕刊に掲載した「続がんす横丁」(第1部)の復刻です。旧漢字は新漢字とし、読みにくい箇所にルビを付けました。表現は原則として当時のままとしています。

(2020年12月27日中国新聞セレクト掲載)

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