×

ニュース

広島「当然」と受け止め ゲン閲覧制限撤回 原画展では子どもら関心

 松江市教委が小中学校に要請していた漫画「はだしのゲン」の閲覧制限の撤回を決めた26日、被爆地広島の被爆者や市民には「当然」「原爆や平和への理解に生かして」との受け止めが広がった。(岡田浩平、田中美千子、加納亜弥)

 作者中沢啓治さんの妻ミサヨさん(70)=広島市中区=は「早く子どもたちが読みたい時に読めるようにしてほしい」と胸をなで下ろした。教育関係者には「分かりにくい場面があれば、先生が作品の意図をくんで教えてあげて」と要請した。

 中区の原爆資料館で9月1日まで開催中の「はだしのゲン原画展」。中区の住宅リフォーム業古宮哲男さん(67)は閲覧制限問題を受けて作品を見つめ直そうと訪れた。「戦争の恐ろしさを学ぶため読んでほしい本。制限が撤回されてよかった」。館内では子どもたちが作品を夢中になって読んでいた。

 広島県被団協(金子一士理事長)の吉岡幸雄副理事長(84)は「核兵器の非人道性を学ぶ上でとっつきやすい作品。撤回は当然だ」。もう一つの県被団協(坪井直理事長)の箕牧(みまき)智之事務局長(71)は松江市教委に「これを機に原爆や平和への理解を深めてほしい」と求めた。

 「今回の問題は、多くの人が作品の内容を多角的に考えるきっかけになった」。作品の象徴である麦の栽培を全国の子どもに広めているNPO法人「一念発起」(中区)の沖本博事務局長(69)は捉える。

 広島市教委の尾形完治教育長は「松江市教委の主体的な判断」とした上で「作者自身の被爆体験を基に描かれた作品で、全体を通して二度と戦争を起こしてはならないという強い願いを訴える内容。従来通り、閲覧制限は考えていない」との談話を発表した。

内容踏み込み逸脱した行為

広島市立大広島平和研究所 河上暁弘講師(憲法学、平和学)の話

 プライバシーの侵害や名誉毀損(きそん)に当たる表現があるなど、明確な社会的実害がない限り、制限撤回は当然といえる。

 今回のケースは教育委員会の中立性が問われた。きめ細かな指導ができる図書館司書や教員の配置を検討するのが教育行政で、内容にまで踏み込むのは逸脱した行為だ。子どもの発達段階に応じた配慮は必要だが、それは子どもに日々接する学校現場や図書館が判断するべきだった。

議論不十分の決定こそ問題

広島大大学院 河野和清教授(教育行政学)の話

 今回、特に問題だったのは松江市教委事務局が教育委員会議を開かずに閲覧制限を決めたことだ。子どもが読む本として教育上適切かどうか、十分に話し合うことが必要だった。

 いじめ問題への対応の遅れなどから、教育長の権限を強化する意見があるが、独断に陥りやすい。平和を伝えるために適した方法は何か、さまざまな考え方がある。多様な視点から意見を交わす教育委員会議が本来の機能を果たすべきだった。

【解説】教育行政の指導に課題

 「はだしのゲン」をめぐる松江市教委の閲覧制限は、学校への教育行政の指導がどこまで許されるのかという重い問題を突き付けた。学校の自主性を尊重した要請撤回の判断は妥当だが、なぜ撤回しなければならなかったかについて、議論が尽くされたとは言えない。

 教育委員が問題視したのは市教委の意思決定のプロセスだった。法に触れないとはいえ、図書館の運営権を持つ学校に対し、熟慮せず2度も閲覧制限を要請した市教委事務局の姿勢は撤回の論拠とはならなかった。強制力を感じた多くの校長が要請に従った事実もある。

 「過激な描写を踏まえた教育上の配慮」と、制限の理由を説明し続けた市教委。しかし、ある幹部は「ここまで大きな問題になるとは…」と漏らした。全国から批判が相次いだ後、子どもの知る権利と表現の自由を侵す可能性のある閲覧制限の重みに初めて気付かされたという。

 市教委事務局は「重要事項は教育委員に諮る」とする規則があるにもかかわらず、内部協議だけで閲覧制限を決めていた。この価値判断の甘さにも問題があった。

 戦争体験者が高齢化する今、戦争の記憶をどう継承するのかというテーマも問い掛ける。戦争を知らない子どもたちが多様な図書を読む機会を保障するべきではなかろうか。作品全体の文脈を軽視し、一シーンの表現を過剰に規制する動きが学校現場に広がってはならない。(樋口浩二)

(2013年8月27日朝刊掲載)

年別アーカイブ