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連載・特集

「がんす横丁」シリーズ 續がんす横丁 (四十三)水主町(その1)旧広島県庁界隈(かいわい)㊦

文・薄田太郎 え・福井芳郎

 「広島県庁」の前にあったのは三宅眼科医院で、その隣には日本銀行広島支店があった。

 大手町七丁目からこの水主町に架けられた「萬代橋」(よろずよばし)は別名を「県庁橋」と言われたもので、この橋については「がんす横丁(六十)大手町界隈」でお知らせズミであるが、この萬代橋を渡って県庁前に出る小路は「ドングリ小路」と言われた。

 この小路名は徳利小路やひょうたん小路などと共に広島人には馴染(なじ)まれた名物小路であった。この小路には山セ印の天野呉服店の本宅があった。そして小路を表通りに出ると、右側には二階建ての立派な県庁別館があった。

 この別館から県庁旧館前を見ると、道路から構内にかけて、大きな「せん檀の木」が並んでいたもので、この広島では毎年消防出初式が行われた。出初式の梯子(はしご)登りや、ポンプの放水競争も年中行事の一つであった。

 県庁構内にあった県会議事堂も狭いながらもなかなか立派であった。また武徳殿が出来あがったのも大正末期であった。巡査講習所もこの一角にあったように思う。

 武徳殿の前の通りを越して川沿いの旧水主町に出るあたりには、羽田別荘の別邸もあり(ややこしい名前である)、広島人からよく知られた熊巳氏や鑑札で知られた巣守氏の自宅もならんでいて、白い長い塀の上に竹矢来が見られたのはいかにも水主町らしい静かな風景であったことが思い出される。

 この連載は、1953(昭和28)年7月から9月にかけて中国新聞夕刊に掲載した「続がんす横丁」(第1部)の復刻です。旧漢字は新漢字とし、読みにくい箇所にルビを付けました。表現は原則として当時のままとしています。

(2021年5月2日中国新聞セレクト掲載)

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