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連載・特集

「がんす横丁」シリーズ 續がんす横丁 (四十七)西地方町(その1)西本川界隈(かいわい)(イ)西本川の御供船㊥

文・薄田太郎 え・福井芳郎

 西本川から出た番船は一と六、二と七のほかに三日、八日に出した三八船というものがあった。これは当時の西土手町(塚本町)から大阪土佐堀の問屋を相手に、篠原喜兵衛という人がやっていたが、この喜兵衛さんの甥には、中國新聞社にいた先輩三幽篠原喜太郎氏がいたことも忘れられない。

 この西本川の思い出には、宮島さんの御供船がある。それは明治四十三年に行われた浅野長政公三百年祭の時に、この西本川を飾った最後の御供船風景が思い出されるが、その当時のことを書く前に一応「芸州厳島図絵」に載せられている「本川口の御供船の図」をお伝えしよう。

 この「六月十六日夜広島本川口の図」は「厳島図絵」中でも圧巻中のアッカンである。猫屋橋上を埋めた人物描写は、なかなか手のこんだもので、あの本川口を埋めた豪華な御供船は十七、八隻もあるという想像以上の絵が描かれている。民家の上に高くつられた高燈籠も、懐かしいそのかみの広島風景である。

 両ページに描かれた絵の説明には「今宵は大明神地の御前より還幸の供奉のためとて、町々より奉る所の船、京橋川、元安川、猿候川、平田屋川などから参加せる船で賑わう。(中略)舳轤の錦繍水に映りて金龍の泳ぐかと思われ、鉦鼓の衹園ばやしは浪に響く龍宮の楽とも思われる。両岸の高楼、水上の舟数千の桃燈(ちょうちん)は大空の清光を奪ったり、あるいは心太(ところてん)の立売にノドをひやし、越後縮(えちごちぢみ)の行ずりに胸をあつくする。橋上の足の音は雷もところを譲るべし、夜の更けるのを忘れた広島の一大壮観なり」と書いてある。

 絵に描かれた御供船の艫飾(ともかざり)には羅生門の渡辺綱が金札を抱えたものが見られるが、これは十日市町の飾りであったという。

 この連載は、1953(昭和28)年7月から9月にかけて中国新聞夕刊に掲載した「続がんす横丁」(第1部)の復刻です。旧漢字は新漢字とし、読みにくい箇所にルビを付けました。表現は原則として当時のままとしています。

(2021年7月18日中国新聞セレクト掲載)

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