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連載・特集

「がんす横丁」シリーズ 續がんす横丁 (五十)西地方町(その4)宮島杓子の創案者誓真⑤

文・薄田太郎 え・福井芳郎

 誓真はもと伊予の人で、のちに厳島に渡って神泉寺の竹林庵に居住するようになった。

 誓真は数々の公益事業を起こし、島の改革に尽くしている。飲料水の井戸を掘るとか、石段を築いて道路の舗装を行うなど、島のあちこちに「誓真井戸」というのが残っていて教化史跡とされている。

 宮島の杓子は材料木質がよいために、飯の木の移り香がなく、また飯粒がこれに付着してしまうというようなことがないのが特長とされている。

 この杓子は実用に使われるばかりでなく、明治二十七、八年の日清の役当時、「敵をメシトルものだ」として、当時の兵士の武運の長久を念じて、自分の名前を書きつけて奉納する習わしができた。

 この杓子は千畳閣の柱に打ちつけられていたが、終戦後は全部取り除かれたので今ではこれを見ることができぬが、大小とりどりの杓子があふれるほどで、宮島名所の一つであった。またこの飯をすくう杓子は「富をすくうもの」として商売繁盛、家内安全を守るためにも、縁起ものとして喜ばれてきた。

 これらの杓子は非常に大きなものもあって、それに厳島神社全景を半肉彫にした装飾品もあった。また杓子の裏に通信文を書くようになっていて、切手を貼れば郵送できるようなものもある。厳島に遊んでこの杓子の便りをするのも旅の思い出として面白いもので、ことに外国の人々に喜ばれているようである。

 この連載は、1953(昭和28)年7月から9月にかけて中国新聞夕刊に掲載した「続がんす横丁」(第1部)の復刻です。旧漢字は新漢字とし、読みにくい箇所にルビを付けました。表現は原則として当時のままとしています。

(2021年9月19日中国新聞セレクト掲載)

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