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連載・特集

「がんす横丁」シリーズ 續がんす横丁 (五十一)西地方町(その5)銅蟲歴代と木鶏翁④

文・薄田太郎 え・福井芳郎

 筆者が浄国寺墓地を訪ねると「木鶏翁」の墓はあったが、「拙鳩翁」の墓は見あたらなかった。また浄国寺の墓地の一角には、大正六年四月七日の火事で亡くなった、広中券番(西地方町浅岡庄太郎氏の家)の芸妓の墓もある。

 当夜この火事で亡くなったのは君太郎さん、千代さん、金司さん、それに見習いの常江さんの四人であるが、今もって広島人の涙を誘っている。

 墓の表面には「為、君太郎、千代、金司、常江菩提(ぼだい)之合墓」と刻んであり、裏面には前記の祥月命日が刻んである。筆者がこの原稿を書いているところへ、ゆくりなくも西部に住んでいる某女の来訪があって、次のような因縁めいた話を聞かせて貰った。

 というのは、広中券番の火事の晩、お座敷帰りの君太郎さんが新大橋を人力車で渡ろうとすると、一人の女が身投げをしようとする瞬間であった。

 君太郎さんはこの女を救(たす)けて話をきくと、身投げをしようとした原因は借金で、彼女は困り果てた末に死を選んだという。そこで君太郎さんはこの女を慰めて、明日はその金をこしらえて持参するからと約束したというが、別れたその晩に前記の火事があって、遂(つい)に君太郎さんは焼死したという。

 また一説には君太郎さんであったか金司さんであったか、火事のとっさにタンスの中にあった貴重品のことを思い出して、これを取りに引き返したところを火炎に包まれて亡くなったとも言われるが、当時としては広島人の涙を誘った珍事で、悲話である。(合掌)

 この連載は、1953(昭和28)年7月から9月にかけて中国新聞夕刊に掲載した「続がんす横丁」(第1部)の復刻です。旧漢字は新漢字とし、読みにくい箇所にルビを付けました。表現は原則として当時のままとしています。

(2021年10月24日中国新聞セレクト掲載)

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