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連載・特集

「がんす横丁」シリーズ 續がんす横丁 (五十二)西地方町(その6)胡社と明神さんのある風景㊤

文・薄田太郎 え・福井芳郎

 東から本川橋を渡り、左に曲がって新大橋へ抜ける界隈(かいわい)を西本川というが、そのかみの本川橋のツケ根には番船問屋が並んでいた。そして川ブチの石段も原爆のあふりを食って、大きな石英岩が転がっているのも痛ましい風景である。

 船着き場には、昔ながらの番船がツナがれている。そのかみの柳の木は見られないが、原爆にもめげず生き残りのアカシヤの木が七、八本繁茂しているのも不思議な感がする。

 その近くにあるタイル張りの公衆便所も、原爆以前そのままの姿を見せている。またその隣にある胡神社も、筆者がこの小社でメモをとった焼跡からは、スッカリ新生した姿を見せている。すなわち神殿の台座には

 昭和二十年八月六日
 原子爆弾により
 神殿及び拝殿共に
 破潰す
 昭和二十六年十一月十日再建立

 と刻まれているのも新西本川界隈の一コマである。

 入口の石柱には「明治二十五年十月建之、寄付人瀬川岩造」と刻まれており、また大時代の手水鉢には盥水と太く刻んであるほかに、文政十二(1829)年十月、広瀬組肝煎中(きもいりちゅう)とあるのも珍しく、石垣の文字もそれぞれに趣があって、次の名前が読まれる。

 石井久平、杉本呉服店、皆川多一、ぶん八番組中、砂糖商楠原、本田権平、古川亀次、仲買人三笠徳助、高尾熊太郎、靴商田村雅一、傘商高田栄次郎、村上栄之助、高重平、むろ福事室作吉、今井増蔵、佐伯政次郎、三田尻時政茂吉、満野梅吉、岩本佐市、泉計之助、平尾雅次郎、時計商財満百太郎、松本清助、仲買人旭瓜孫兵衛、永井幸兵衛、鎌田常吉、広島米綿株式取引所、それに桑原八右衛門の名前も刻まれている。

 この連載は、1953(昭和28)年7月から9月にかけて中国新聞夕刊に掲載した「続がんす横丁」(第1部)の復刻です。旧漢字は新漢字とし、読みにくい箇所にルビを付けました。表現は原則として当時のままとしています。

(2021年10月31日中国新聞セレクト掲載)

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