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連載・特集

「がんす横丁」シリーズ 續がんす横丁 (五十二)西地方町(その6)胡社と明神さんのある風景㊥

文・薄田太郎 え・福井芳郎

 胡神社の石垣に刻まれた名前の多くは、そのかみの広島ではそれぞれに活躍した人たちであった。

 また、この胡神社に合祀(ごうし)された明神さんは、毎年八月の住吉まつりには江波町の住吉神社から空鞘町空鞘神社への遷宮の途中大きな役割を果たしたもので、広島独特のこの川祭り風景は、旧広島人の郷愁を呼んだものである。

 また、西本川での米騒動の話は、今もって語り草になっているが、以下は「広島県警察史」からの抜き書であることを御承知願いたい。この米騒動は大正七年八月五日、富山県滑川町にボッ発したもので、これが原因で広島県でも三次町を手始めに、広島市内でも米騒動が起こった。

 すなわち十一日午後八時ごろ、西練兵場に数十名が集合したので警察官は直ちに現場に出かけて解散させた。ところがその晩、市内の一部に数百名からの群衆が集まって米屋四戸に白米の廉売を強要したため、警察官は現場に出張して懇談の結果、午後十一時三十分に群衆を解散させた。

 ところが十二日夜再び群衆が米屋を襲ったために、この西本川界隈(かいわい)は大騒ぎとなり、警戒中の警察官五十四名は応援の憲兵とともに群衆を退散させたが、なかなかの騒ぎであったという。翌十三日の夜も同じ騒動があったが、夜中の午前二時に群衆を退散させたということが書かれている。

 これがため軍隊の出動記録には、八月十二日五百十四人、十三日八百二十二人、十四日六百八十二人(以下省略)と書かれている。

 この連載は、1953(昭和28)年7月から9月にかけて中国新聞夕刊に掲載した「続がんす横丁」(第1部)の復刻です。旧漢字は新漢字とし、読みにくい箇所にルビを付けました。表現は原則として当時のままとしています。

(2021年11月7日中国新聞セレクト掲載)

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