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社説・コラム

天風録 『寂聴さん「生きてこそ」』

 瀬戸内寂聴さんが法話を急きょ取りやめたことがある。大震災の直後に東北地方を巡った時のこと。原発事故で避難を強いられた福島・飯舘村の人たちは疲労の色濃く、取りつく島もない▲とっさに、私は小説よりマッサージがうまいの、どなたか私に揉(も)ませて―。進み出た年下の女性の肩をほぐし、日頃の鬱憤(うっぷん)を吐き出すよう声を掛けると次々に。2年後、再会した女性から手編みの肩掛けをお礼にもらう。随筆集「生きてこそ」から▲きのう寂聴さんの訃報を聞いた。「生きてこそ」と人々を励まし続けた作家はもういない▲戦前の中国に渡り、若き日に日本の敗戦を肌で知った人。生き残った者の「後ろめたい思い」から逃れられなかったと漏らす。原水禁運動に足跡を残した広島大の今堀誠二さんとは長く親交があり、晩年は日本政府に核兵器禁止条約への署名・批准を求める活動にも名前を連ねた▲仏教の師今東光(こん・とうこう)さんに〈出離者は寂なる乎(か) 梵音(ぼんのん)を聴く〉と法名寂聴の傍らに一筆もらう。梵音とは仏の声だが、鐘の音や読経の声だけでなく、赤ん坊の産声や母親の子守歌も寂聴さんにはそう聞こえた。ヒロシマの声も、きっと梵音として聴いてくれたのだろう。

(2021年11月12日朝刊掲載)

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