×

社説・コラム

『想』 水上博司(みずかみ・ひろし) ホタル慰問の記憶

 広島の地を離れて30年、そんな長い時間を一気に巻き戻してくれるような出来事があった。

 とある大学キャンパスから最寄り駅までの移動中のバスの車内。それは隣に座った先輩研究者からの何の前触れもない唐突な問い掛けからはじまった。

 「広島出身だよね? 子どもの頃に受けた平和教育って覚えてますか」。答えに迷うことはなかった。40年以上前の中学の記憶まで時間は一気に巻き戻され、記憶の一端を短く伝えた。

 「通っていた高陽中では『ホタル慰問』という生徒会行事がありました。6月に平和教育が全校で始まり、原爆を題材にした影絵劇を制作したり、核兵器開発の実態を調べたりして各班で発表する授業がありました。締めくくりが6月下旬のホタル慰問でゲンジボタルを生徒と先生が手分けして採集、籠に入れて広島赤十字・原爆病院の病室を回ってお見舞いするのです」

 ホタルは捕るものでなく見るものだったのでは、とホタル慰問なる行事を不思議に思った江戸っ子の先輩はバスの降車ギリギリまで私を質問攻めにした。その後、質問の意味に気付かされたのは、当の先輩が戦後沖縄の高校野球やボクシング、ゴルフを題材にしながら沖縄県民特有のスポーツの記憶を調べていることを知ったからであった。

 戦後沖縄県民が活躍した数々のスポーツは、県民に強い同胞意識をつくり出す記憶として刻まれる。たとえ沖縄の地を離れて国内外に暮らしの拠点があっても記憶に刻まれたスポーツを介して想像上の同胞でつながるのだ。これをアメリカ政治学のベネディクト・アンダーソンは「想像の共同体」と呼んだ。

 1979年6月23日付中国新聞広島版は「原爆病院に平和の灯ともし20年」と高陽中を報じている。ホタル慰問は私が中2の時、20回目を迎えたのだ。東京で暮らす日々、広島で刻まれたホタル慰問の記憶がどこかで私の同胞意識をつなぎとめているのかもしれない。ヒロシマの平和教育は、子どもたちにはいつまでも忘れられない記憶となることを願いたい。(日本大学教授=スポーツ社会学)

(2021年10月24日中国新聞セレクト掲載)

年別アーカイブ