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社説・コラム

『想』 清金誠司(きよかね・せいじ) 決める

 セイコー自動車は、昨年8月に事故車の修理から、ロードスターのレストア(復元)事業に舵(かじ)を切りました。ほとんどの人が「絶対無理。やめておけ」と言う中での決断でした。ただ創業者の父は遠くを見つめ、「自分で決めろ」と背中を押してくれました。

 父は6歳の時に原爆で両親を亡くしましたが、苦労を語ることはありませんでした。学校で「はだしのゲン」を読んだ小学生の私は、「原爆で両親がいなくなって悲しかったことは?」と聞いたことがあります。父はしばらく考え、ポツリと「初めて子どもが生まれた時が一番つらかった」と言いました。

 驚く私に母は寄り添い、耳元でささやいてくれました。「お父さんはね、両親がおらんことが当たり前じゃったんよ。生きるため新聞配達や鉄くずを拾って、寂しいと思う暇がなかったんよ。結婚して子どもが生まれた時に、初めて両親がいなかったことの大変さが身に染みたんよ」と教えてくれました。

 私は、東京の大学までいかせてもらい、地元広島の銀行に就職、結婚もしました。その後、家業のセイコー自動車に入社しました。厳しい職人さんに囲まれて、毎日、銀行を辞めたことを後悔ばかりしていました。そんな私に、父は何も教えてくれません。唯一の教えは「自分で決めろ」。それだけでした。

 自分で決め始めた私は、失敗ばかりしました。自分勝手な決断に社員の反発を買いました。大きな取引先と縁が切れ、頼りにしていた幹部社員が辞めた時も、父は一言「自分で決めろ」としか言いませんでした。

 13年前、父はくも膜下出血で倒れ、今は施設でお世話になっています。認知症も進み、かつての厳しさは影を潜めました。もろもろの報告をする私にいつも最後は「自分で決めろ」で締めくくります。

 「決める」は経営者にとり一番大変で大切だと今は感じています。父は何も教えてくれなかったと思っていましたが、一番大切なことを教えてくれたと理解できたのは、つい最近です。(セイコー自動車代表取締役)

(2021年10月21日中国新聞セレクト掲載)

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