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連載・特集

ヒロシマ胎動 第1部 戦場のイラク <4> NGO支援

何をどこへ 情報不足

 バグダッドで、日本人女性に出会った。市民団体「アラブイスラーム文化協会」代表のジャミーラ高橋千代さん(63)=東京都杉並区。イラク戦争が始まってしばらく、「人間の盾」として現地にとどまり、戦争反対を訴えた一人である。

 「もっとたくさん届けたいけど…」。抗生物質や粉ミルクなどが入った段ボール箱を見やった。戦後、三度目のイラク入り。六月中旬から、医療機関へ医薬品を贈る活動を続けている。

 バグダッド西方の町、ラマディの小児産科病院に薬を届けると聞き、同行した。道中は、米軍に対する襲撃が毎日のように起きている地帯だ。巻き込まれないよう、日本からの薬を持ってきたことをアピールする手書きの看板を車の側面に張って出発した。

田舎ほど悲惨

 訪れたのは、町に二つしかない病院の一つ。薬をはじめ、手術用のメスや手袋などの医療品は底をついていた。ポリオやコレラのワクチンは電力不足で保存できず、まん延する病気に対応できないという。

 「バグダッドの病院には、多くのNGO(非政府組織)が入っている。本当に厳しいのは、だれも行かない田舎なんです」と高橋さんは言う。

 調査団がイラク滞在中も、米英軍への襲撃が相次いでいた。戦車や機関銃を搭載した装甲車が街中を走り回り、外出禁止令が出ている夜は時折、銃声が響く。特にバグダッド一帯は緊迫感が漂い、米軍が駐留する施設のバリケードは見るたびに高くなっていった。

 こうした戦争の最前線にこれまで、日本の外務省が把握しているだけで、八つのNGOや市民団体が日本から向かった。そのほか、いくつかの市民団体が医薬品の提供などの支援に訪れている。

 「セイブ・ザ・イラクチルドレン・広島」代表の大江厚子さん(47)=広島県戸河内町=もその一人。六月中旬、高橋さんと一緒に行動した。「どこで何が必要なのか。直接歩いてニーズを調べることから始めなければならなかった」と、現地での情報不足を嘆く。

 調査団は現地で、日本国際ボランティアセンター(東京)パレスチナ事務所の佐藤真紀さん(42)にも会った。やはり医療支援のため医療機関などの調査を続けていた。

派遣にため息

 「米軍は治安回復や復興に当たると言いながら結果が出せず、イラク国民の間には米軍への怒りが充満している」。佐藤さんは、イラクに自衛隊を派遣するイラク復興支援特別措置法案の審議の行方を気に掛けていた。

 高橋さんも、ため息をついた。「米軍を支援する自衛隊が来たら、私たちはどう見られるでしょうね」。そして苦笑いを浮かべた。「もう日本国籍を抜こうかしら」

 調査団が帰国した五日朝、関西空港に並んだ新聞朝刊には「イラク特措法案 衆院通過」の見出しが躍っていた。

(2003年7月15日朝刊掲載)

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