ヒロシマ胎動 イラク 傷と息吹と 絶えぬ銃声 街混とん 市民調査同行ルポ
03年7月19日
急発進する車を、二人の男が追いかけていた。路面をかきむしるタイヤの音と二発の銃声。男らは銃を手に、遠ざかる車に何事か叫んでいた。
バグダッド入りした六月二十四日夕。市中心部のホテルに落ち着き、三階のベランダから通りを眺めていた時だった。何のトラブルかは分からない。目前の銃声に、ちょっぴりあった観光気分は吹き飛んだ。
広島市民らの劣化ウラン弾調査団に同行し、フセイン政権が崩壊して二カ月半のイラクを訪れた。街の至るところに空爆のつめ跡が残る。略奪に遭い、焼け焦げた政府系庁舎。深夜には、幾度となく銃声が響いた。圧政から「解放」された自由と、死が入り交じる、混とんの街だった。
バグダッド近くのハイウエーを走っていたとき、焼け焦げた車に出くわした。街中でよく見かけた米軍車両だった。前夜、襲撃されたばかりという。「これからも米軍への攻撃は続く」。周囲にいた男たちは、首をかっ切るポーズをして立ち去った。
大人たちは「仕事がない」と訴えた。「マニー」と金をねだり、シンナー吸引に興じる子どもたちもいた。新たな国の姿が見えないなか、人々のくすぶる不満は、米英軍の銃口と向き合う。
それにしても、イラクの人々は明るく、人懐っこい。カメラを持っていると、「写真を撮ってくれ」と近づいてくる。街には年代ものの日本製の車や家電も多い。日本人と分かるとしきりに話し掛けてくれた。
「悪の枢軸」と米政府はイラクを呼んだ。人々の笑顔は、そんなつくられたイメージとは、ずいぶんかけ離れていた。(城戸収)
(2003年7月19日朝刊掲載)
バグダッド入りした六月二十四日夕。市中心部のホテルに落ち着き、三階のベランダから通りを眺めていた時だった。何のトラブルかは分からない。目前の銃声に、ちょっぴりあった観光気分は吹き飛んだ。
広島市民らの劣化ウラン弾調査団に同行し、フセイン政権が崩壊して二カ月半のイラクを訪れた。街の至るところに空爆のつめ跡が残る。略奪に遭い、焼け焦げた政府系庁舎。深夜には、幾度となく銃声が響いた。圧政から「解放」された自由と、死が入り交じる、混とんの街だった。
バグダッド近くのハイウエーを走っていたとき、焼け焦げた車に出くわした。街中でよく見かけた米軍車両だった。前夜、襲撃されたばかりという。「これからも米軍への攻撃は続く」。周囲にいた男たちは、首をかっ切るポーズをして立ち去った。
大人たちは「仕事がない」と訴えた。「マニー」と金をねだり、シンナー吸引に興じる子どもたちもいた。新たな国の姿が見えないなか、人々のくすぶる不満は、米英軍の銃口と向き合う。
それにしても、イラクの人々は明るく、人懐っこい。カメラを持っていると、「写真を撮ってくれ」と近づいてくる。街には年代ものの日本製の車や家電も多い。日本人と分かるとしきりに話し掛けてくれた。
「悪の枢軸」と米政府はイラクを呼んだ。人々の笑顔は、そんなつくられたイメージとは、ずいぶんかけ離れていた。(城戸収)
(2003年7月19日朝刊掲載)