×

連載・特集

ヒロシマ胎動 第2部 「平和がいい」 <4> 追体験

原爆詩に「継承」誓う

 「ちちをかえせ ははをかえせ…」

 原爆詩人峠三吉の言葉をかみしめるたび、広島城北高校(広島市東区)二年の久保田賢君(16)は、地獄だったに違いない「あの日」を脳裏に思い描いてみる。

 痛み、苦しみ、悲しみ、そして怒り。被爆者の心のうちに渦巻いたであろうさまざまな思いを想像してみる。

「恐怖自分も」

 六月二十八日の昼下がり。城北中・高校の生徒でつくる社会問題研究部の十五人が教室に集まった。平和学習会「原爆文学と劣化ウラン弾」だ。

 劣化ウラン弾は、イラク戦争の際も米軍が使った。「通常兵器」と米国が主張するが、その放射能による健康被害が指摘されている。久保田君たちは、二十五編が収まる峠の「原爆詩集」を朗読し、ヒロシマとイラクについて考え合った。

 「憎しみをぶつけ合い、家族を奪い合う戦争をなぜ起こすのだろうか」

 三月二十日。春休みが始まった自宅のテレビの向こうで、そのイラク戦争は始まった。「おかしな社会になり過ぎてんじゃないの?」。久保田君は、何もできない自分にもどかしさを感じた。

 高校三年綿岡洋平君(18)も同じ気持ちでテレビを眺めていた。刻々と伝わるイラクの戦況…。

 「爆撃から逃げ惑う市民に思いがいった。恐怖を自分も感じた」

 イラク戦争さなかの四月十九日、久保田君と綿岡君は、中区の原爆資料館東館であった峠三吉没後五十年の記念シンポジウムで、峠の「原爆詩集」から二編を朗読した。

 「ちちをかえせ」で始まる『序』と、『仮繃帯(ほうたい)所にて』。戦争のやるせなさを自分たちなりにぶつけてみた。

 「原爆詩の言葉をかみ締め、君たちがヒロシマを語り継ぐ主人公になってほしい。原爆投下を単なる歴史事実で終わらせるわけにはいかない」。峠の作品朗読を生徒たちに薦めてきたのは、顧問の吉川徹忍教諭(54)だ。

老いる被爆者

 社会問題研究部は一九九五年から毎年、学校近くのお年寄りから被爆証言の聞き取りを続けてきた。昨年までに十三人。しかし、あの日を体験した被爆者の老いはいやおうなく進む。今年の聞き取りは、被爆者の孫からだった。

 自分たちに何ができるのだろう―。部員の高校一年山本宏樹君(16)は、これまでに集めた被爆証言をホームページで発信しようと提案した。

 「証言を聞いた僕たちが、今度は伝える側に回らなければならない」

 峠の「原爆詩集」に、『呼びかけ』と題した一編がある。その一節がこの夏、部員たちの心に、ひときわ強く響く。

 「いまでもおそくはない あなたのほんとうの力をふるい起すのはおそくはない」

(2003年7月21日朝刊掲載)

年別アーカイブ