×

連載・特集

ヒロシマ胎動 第2部 「平和がいい」 <6> 大使

幼い心に「不戦の種」

 広げたアルバムに子どもたちの笑顔があふれている。真冬の米国を写真が思い出させてくれる。

 英会話学校講師の吉清由美子さん(24)=広島市安芸区=は今年一月、当時留学していた米西海岸のシアトルから、中北部のミネソタ州に飛んだ。「ネバーアゲインキャンペーン(NAC)大使」として滞在していた野上由美子さん(30)=安佐北区=に合流するためだ。

 NACは、米国の学校や教会で、日本文化やヒロシマ・ナガサキの体験を伝える草の根活動。兵庫県に事務局があり、一九八六年から隔年に五人ほどの大使を、米国各地に派遣している。

 野上さんは昨年一月から一年余り、東海岸のロードアイランド州、続いてミネソタ州を拠点に、約百十カ所で活動した。

 渡航も生活も、すべて自費で賄う。ホームステイしながら、活動先も自力で探す。手紙と電話を重ね、原爆の話をさせてほしいと依頼する。

内向く超大国

 しかし、滞在中の米国は、愛国心に満ちていた。二〇〇一年九月十一日の米中枢同時テロとアフガニスタン空爆を経験し、イラクを攻撃しようとしていた時期だった。

 「『戦争はいけないと分かっている。じゃあ、どう自国を守るのか』と問われる。アポはなかなか取れなかった」

 野上さんの姿を報じた新聞を、吉清さんは帰省中の広島で偶然目にした。野上さんに「活動を見てみたい」とメールした。

 真冬のミネソタは氷点下。約一カ月間、二人は一緒に、十校近くを回った。

 「子どもたちとの対話は、何物にも替え難い経験だった。わずかでも、いつか思い出してくれれば、何も知らないよりずっといい」

 吉清さんは、そんな「心に素地がある」ことが大切だと思う。ヒロシマに生まれた自分自身がそうだったから。

 高校生まで被爆地で過ごした。図書館にあった原爆の本を、世界に伝えたいと思っていた。大学進学で広島から離れ、思いは一時薄れたが、あの「9・11」を留学先の米国で迎えた。戦争にはやる米国に「このままでいいのだろうか」と、何度も思った。

募集は延期中

 大学卒業後に六年間働いた会社を辞め、NAC大使を経験した野上さんは言う。「思い切って一歩踏み出すこと。『流れ』ができてくるから」

 しかし現在、次期NAC大使の募集は延期中だ。テロ以降、一国主義を強める米国で、観光ビザでは活動が制約される恐れも出てきたためだ。

 広島市内で野上さんと再会した吉清さんは、少し待ってでも次の大使を目指す決意をあらためて伝えた。「原爆きのこ雲の下の惨状を、ただ怖がらせるのではなく、どう受け止めてもらうか」。自分の課題も、すでに自覚している。

(2003年7月23日朝刊掲載)

年別アーカイブ