ヒロシマ胎動 第3部 被爆地の使命 <5> 垣根
03年7月31日
すそ野広げた「人文字」
人文字がもし「NO WAR(戦争反対)」「NO DU(劣化ウラン弾反対)」ではなかったら―。
三月二日、若者たち六千人が広島市中区の中央公園に集った。その人文字集会の実行委に加わった「核兵器廃絶をめざすヒロシマの会」共同代表の河合護郎さん(74)=安佐南区=は今になって、「もし『核兵器廃絶』の文字だったら、果たしてあれだけの人が集まっただろうか」と考えこんでいる。
河合さんのように、長らく被爆地の平和運動に携わってきた人たちは今、「垣根」という言葉を意識する。運動を遠巻きに眺めてきた市民や県外の人たちからも、その言葉をよく聞くからだ。
核実験、紛争への軍事介入…。被爆地広島はその都度、平和を脅かす動きに、敏感に反応してきた。とはいえ、座り込みやデモ行進などには、いつもの顔触れが並ぶ。
若者の姿多く
人文字集会は、一つの転換点だった。
六千人が反戦・不戦の思いを束ねた。市内ばかりか、県外からの参加者もいた。これまでの被爆地の平和運動ではまれだった若者の姿も多かった。
「東京からバスで乗り付けた人もいてね、すそ野が広がったという感じでした。自分流で育った若者たちが、自由に思いを表現していたのも新鮮だった」。南区の会社役員友川千寿美さん(50)は、集会に参加しての心象を打ち明ける。
「個人」が集う
友川さんの心に、もう一つ留まったことがある。人文字集会は実行委員会が引っ張ったこと。メンバーは市民団体代表や大学教授、宗教者、高校教員、公務員たち多士済々。所属団体の枠や組織の主義主張を乗り越え、個人として集っていた。
原爆やイラク戦争の写真展、地元の平和の集い…。この夏、友川さんは三つの平和イベントの実行委に加わっている。「個性のぶつかり合いはあっても、やがて互いを認めて思いが一つになる。そんな内輪の姿も今の子どもたちに伝えたい」
写真展には、人文字集会の実行委メンバーだった、西区の国際ボランティア団体代表田中明行さん(47)も参加する。「被爆者の高齢化とともにヒロシマが形がい化している、と聞くのは違和感があってね。平和の思いや志を表に出していない人が多いだけだと思うんです」。三月二日の人文字集会は「ヒロシマを集約するきっかけだった」と振り返る。
人文字集会は、前日までの参加登録が約二千九百人だった。実行委は「この人数で文字になるのか」と気をもんだ。しかし当日の結果は、二倍強の六千人。
「ノーモア・ヒロシマは最大の課題。でも、それを訴えても昔のように、若い人たちが黙って付いて来てくれるとは限らない」と河合さん。組織にこだわって活動するのも大切だと思う。一方で「垣根」の低い緩やかな平和活動の芽生えをはぐくむのも、ヒロシマの役割と感じている。
(2003年7月31日朝刊掲載)