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連載・特集

ヒロシマ胎動 第3部 被爆地の使命 <6> 二世

継承の軸に 時代が要請

 「あの日」の出来事だけが被爆体験ではない。その後どう生きたか、そして今、何を願うのか。被爆者の生きざまそのものを、語り継いでいかなければならない―。

 広島県被団協(藤川一人理事長)の事務局次長になって三年余。被爆二世の団体職員清政文雄さん(42)は最近、そんな思いを強くしている。

勤め終え事務

 広島市中区、平和記念公園の南に事務所がある。勤めを終えた夕方、あるいは休日に、やむを得ない場合は仕事を休んで、清政さんは駆け付けてくる。

 被爆者組織である県被団協で、被爆二世として初めて次長に就任した。その時、被爆者の次長が他に二人いた。うち一人は昨年に他界し、もう一人も体調が芳しくない。

 集会の案内状発送、新聞の発行、事務局長の代理としての会合出席などと、おのずと清政さんに負担がかかる。だが、気にかけるそぶりは見せない。

 両親とも被爆者。あの日の体験を聞いて育った。「私より立派な理念を持ち、時間も自由に使える人たちが、いくらでもいるはず。でも被爆者と苦楽をともにした『二世の体験』がある。被爆者の人生を語り継ぎ、残していく手伝いはできると思う」

 被爆者の平均年齢は現在、七一・五歳。被爆者組織の運営はもう、二世の支えなしには成り立たなくなってきた。

 もう一つの広島県被団協(金子一士理事長)も七月の総会で、事務局次長に初めて二世の大中伸一さん(53)を選んだ。これまで二人だった次長を、大中さんも含め七人に増やしたのは、後継者の育成がねらいだ。

本格活動急ぐ

 同被団協は二年前の夏、「被爆二・三世の会」(尾野進会長)を発足させた。しかし、八十人弱の会員がいるが、その多くは被団協に所属する親が、自分の子の名前を登録しているという。活動を本格化させるのはこれから。

 「二世は、職場でも中心を担う多忙な世代が多い。なかなか専従体制は取れず、昼間の会議などへも出席できない」と、自らも労組幹部の大中さん。それでも、親の世代の高齢化を思うと「急がなければならない」と焦る。まず、被爆六十周年に向け、二、三世が被爆体験を語り継ぐ学習会を考えている。

 労組単位の二世組織でつくる広島県被爆二世団体連絡協議会(横田秀明会長)。行政に二世対策の充実を求めたり、韓国の被爆二世と交流したりするなど活発に動く。だが、自分の生活や仕事、他の市民団体活動などに追われ、体験の継承については、一人ひとりの自覚や意欲に任せてしまいがちだ。

 角田拓事務局長(39)は言う。「直接の体験はない。だが、自分の生き方にもかかわること。『二度と二世をつくってはいけない』と、自分たちの言葉で語りたい」

(2003年8月1日朝刊掲載)

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