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連載・特集

ヒロシマ胎動 座談会 被爆地の役割 若者の平和 育てよう 58周年の8・6へ

運動の垣根が低く 野上さん

  ■人文字

  ―三月二日、広島での人文字集会には六千人が集いました。イラク戦争反対のエネルギーがあれだけ結集した要因は何でしょうか。
 森滝 人文字は、自分が主体的に参加することで成り立つ。ヒロシマが訴えたい「NO WAR(戦争反対)」と、ヒロシマだから訴えなければならない「NO DU(劣化ウラン弾反対)」という文字に、「戦争を止めたい」「思いを米国に伝えたい」という市民の気持ちが集まったのではないか。

 呼び掛けた一人としては、六千人という数の評価は分からない。世界中で反戦運動が高まる中、果たしてあれでよかったかという思いもある。ただ、組織による動員ではなく、多くの市民が集まったのは、ここ数年見なかった現象と思う。

 野上 日本に帰国後、人文字集会のことを聞いて私も参加した。友だちを誘ったら、これまで平和運動にかかわったことがないのに、すぐに「いいよ」と言ってくれ、こちらがびっくりした。これまで反戦運動というと垣根が高いと思っていたけれど、みんな何かを形にしたい、自分を表現したいと思っている。

 菱木 私が勤めている大学も含め、広島・長崎に関する特別な講座はどんどん立ち上がっている。参加する学生も多く、期待を抱かせる。若い人が平和を求めて活動し、継承していく兆しを感じる。

 例えば、ドイツでは反戦運動に若い人が結集した。その世論を背景に、あれだけ対米協調的だったドイツが米国の機嫌を損ねてでもイラクの戦争に反対した。若い人たちの運動の成果だと思う。

 畑口 原爆資料館も、次世代への被爆体験継承が一番の課題ととらえてきた。風化はなかなか止められず、単に口で伝えていくのは限界があると感じていたところに、若者の自主的な動きが見え始め、心強く思えた。「友人が行くから」「何か機会があれば」といった参加型が多いように思うが、それこそ一番大事だと思う。行動して目に見える成果を求めるのは難しいが、ちょっとしたきっかけから連帯の輪が自然に広がればいい。

事実と現実伝える 森滝さん

  ■時代と教育

  ―若者が動き始めた背景に何があるのでしょうか。
 野上 日本社会に今、すごく閉塞(へいそく)感がある。先が見えない不安により、逆に、豊かさや真の幸せについて考えている人が多い。世界や平和のために何かしたいと願う中で、広島・長崎を訴えるのも一つの手段。若い人たちはよりよい世界を求め、本能的に「今のままではいけない」と感じている。

 菱木 核兵器に代表される矛盾に満ちたこの時代に対し、「何かおかしい」という皮膚感覚を持ち始めているのではないか。効率を重視し、要らないものはリストラなどと捨ててしまうこの時代の象徴が核兵器。人の命、地球の命を大切にしない文明の中で、これから生きていく人は、体の中でそのことが分かりだしたのではないか。

 だから、「ブッシュの戦争」を止めるには、自分たちの人間的な生き方を探す。あるいは自分たちの住んでいる環境を一つひとつ手で触りながらつくり変えていく。そういうことを続けていると、いざ危機が来たときに、六千人ではなく何十万人という勢力になる。そんな感じがする。広島を中心に国内で一日で百万人を動員すれば、日本の政権にも大きな影響を与える。

 野上 広島では幼いころから原爆の脅威を聞いて育つ。なぜ核がだめなのか尋ねると、広島の子どもたちは「うまく言えんけど絶対にいけん」と答える。核兵器は怖いものという感覚が身に染みている。今回、米国の子どもたちが「広島や長崎でこんなことがあったんだ。核をつくり続けるのはよくない」と思ってくれるのを目の当たりにした。学校教育の中で、世界の状況を幅広く知らせる開発教育のシステムが必要だと思う。

 菱木 「眠っている」若い人も多く、広島の平和運動に新しい治療薬はない。やはり、一つは教育だろう。学校教育や原爆資料館の展示もそうだが、より正確に歴史を残していく、核兵器が今の時代になぜ生み出されるのかも含め、立体的に盛り込んでいく、そうした若い人たちの可能性を引き出す教育がとても大事だと思う。研究機関や大学ももう少し、ヒロシマと平和を研究対象とする人材を育てていきたい。

 畑口 原爆資料館でも昨年度、若い世代への継承事業と継承の基礎づくりを柱にしたプログラムを作成した。中心となるのは、修学旅行の誘致と、被爆地を訪れる子どもたちの学習強化。世界的にも知られる佐々木禎子さんと折り鶴をテーマ化してパネルを作ったりしている。折り鶴、被爆、戦争反対、原爆の怖さという流れで、身近なところから子どもたちに考えてもらえたらと思っている。

 森滝 しかし、学校現場の平和教育を「風前のともしび」とも感じる。足元から崩れてはいないだろうか。若い人たちはまず、事実を知ることが大切。五十八年前の広島やイラクの現実を知り、どう考えるかが出発点になると思う。

ヒバクシャ連携を 畑口さん

  ■発信

  ―内外にヒロシマ、ナガサキを発信していく取り組みも問われます。
 野上 米国民は核について、驚くほど何も知らない。核と通常兵器の違いが分からないし、一発の原爆でみんな死んだと思っている。生き残った人がいて、今も放射能の影響に苦しむ人がいることに驚いている状況に私の方がびっくりした。「核爆弾が来たら机の下に隠れましょう」という資料も見た。核の脅威への認識がないから、「小型核兵器」と言えば「ピンポイントでいいじゃないか」との反応につながる。米国では劣化ウラン弾のことを知らなかった平和活動家もいる。

 森滝 海外でヒロシマ・ナガサキの言葉は知られていると思う。イラクでもそうだったから、ヒロシマが持つ意味を逆に教えられた。昨年四月、「ヒロシマ・ナガサキ反核平和使節団」として訪米し、首都ワシントンで核兵器廃絶に向けたロビー活動をした時には、議員たちが被爆者の話に衝撃を受けていた。じかに被爆者と触れ合う意味の重さをあらためて感じた。

 畑口 チェルノブイリ(ウクライナ)、セミパラチンスク(カザフスタン)、インドやパキスタンなど、原発や核実験場、核施設の周辺住民が放射線の影響を受け、ヒバクシャは世界的に拡散している。太平洋での核実験の影響を英国政府が認めないように、世界には、表に出ていないヒバクシャも相当いるだろう。ヒロシマ、ナガサキを中心に、ヒバクシャがつながる必要もある。

世界に警鐘鳴らす 菱木さん

  ■継承

  ―被爆者の高齢化を考えると、体験継承が急がれます。
 畑口 ヒロシマの学問的な普遍化を急ぎたい。資料館も再来年の六十周年を機に、展示の見直しを進めるつもりだ。もの言わぬ被爆資料が人々に訴えるよう展示の在り方を考えたい。証言ビデオもできるだけ収録したい。だれもがヒロシマを学べるよう、ホームページも充実させたい。いずれにしても、もう今しかない。期待感と危機感を持って、アイデアを絞りたい。

 森滝 ヒロシマの課題はあまりにも重すぎる。これまでの地道な努力の延長線上で、焦点を絞り、運動を継続していくしかない。いまの新しい市民の動きにしても、被爆者がやってきたことが受け継がれたもの。ただ、働き掛けがないと動かない。出始めた芽を見守っていきたい。

 菱木 謙虚な気持ちで言いたい。四五年八月六日に起きたことは痛ましい負の遺産だが、ヒロシマがこれからの世界をもう一度作り上げていくための積極的な遺産と受け止めていいのではないだろうか。

 これまでの平和運動には混迷もあっただろう。しかし、その活動に意味がなかったわけではない。世界に核時代の危機について警鐘を鳴らし、運動を存続したことで、少なくとも原爆の使用は差し止められた。

 畑口 核拡散が続いている。一九七〇年発効の核拡散防止条約(NPT)が核保有を五カ国と限定して以降、この約三十年の間にインド、パキスタン、イスラエル、北朝鮮などと核開発は広がりつつある。核保有国が率先して核軍縮に向けた具体的な目標を立てないと、歯止めはかからない。

 五年ごとのNPT再検討会議で二〇〇〇年、「核兵器廃絶への明確な約束」が採択された。被爆者たちは二十一世紀は願いがかなうと喜んでいた。しかし、その約束は置き去りにされている。〇五年の再検討会議では、より明確な約束をとりつける意味で期限付きの廃絶の採択を願う。そうしなければ人類と地球は永遠に核と決別できない。

 《小型核兵器》米上院は今年5月、それまで5キロトン以下の小型核兵器の研究・開発を禁じていた「ファース・スプラット条項」の廃止を可決した。開発段階に入る際には議会承認が必要とするなどの一部修正はしたものの、研究は認める内容。米国防総省などは「小型」あるいは「低威力」と表現するが、5キロトンは広島に投下された原爆(推定15キロトン)の3分の1。米軍が地下の壕(ごう)などを攻撃するためイラク戦争でも使用したバンカーバスター(特殊貫通弾)に装てんし、「強力地中貫通型核兵器」とする構想もある。核兵器使用の「敷居を下げる」として、平和団体などは研究開発に強く反対している。

(2003年8月2日朝刊掲載)

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