広島世界平和ミッション ヒロシマの教訓 和解の心 世界へ
04年1月1日
広島国際文化財団(山本信子理事長)主催の被爆六十周年プロジェクト「広島世界平和ミッション」が、今春からスタートする。二〇〇五年にかけて、核保有国や紛争地へ記者とともに被爆者や若者らを派遣。原爆被害の実態や、悲惨な体験の中から広島市民、県民が歴史の教訓として学び、はぐくんできた「平和と和解の精神」を直接人びとに伝える。折りしも今年は広島市特別名誉市民で、アメリカ人の故バーバラ・レイノルズさんが「広島・長崎世界平和巡礼」を提唱し、実現させてから四十年。当時の巡礼団の足跡を振り返りつつ、二十一世紀における新たな被爆地、被爆国の役割を探る「広島世界平和ミッション」の内容を記す。と同時に「ヒロシマ」にかかわりの深いアーティストや有識者らから寄せられた平和ミッションへの賛同のメッセージを紹介する。(平和ミッション取材班)
対話で信頼はぐくむ
一九七七年の設立以来、米国地方紙記者招請計画(アキバ・プロジェクト)など、広島国際文化財団は被爆地にふさわしいさまざまな平和・文化活動に取り組んできた。その財団が新たに実施する「広島世界平和ミッション」の事業内容は次の通りである。
<目的>「戦争の世紀」だった二十世紀から「平和の世紀」を願った二十一世紀。しかし、人類が直面する世界の現実は核兵器、戦争、テロの脅威に覆われ、戦争誘引の要因でもある南北間の貧富の差も依然解消されていない。世界の圧倒的多数の人びとはなお、核戦争の本当の被害実態を知らない。武力行使を「正義」とする風潮も強まっている。
被爆者ら広島市民、県民は、原爆による「生き地獄」の惨禍の中から人類史における「被爆体験の意味」を問い続け、憎悪や報復ではなく、平和と和解の精神の重要さを学んできた。
「広島世界平和ミッション」は、被爆者らを含む使節団を核保有国や潜在保有国、紛争地域などへ派遣し、核廃絶へのヒロシマの願いを伝えるとともに、対話を通じて信頼を醸成し、戦争や紛争防止に貢献したいという被爆地から世界へ向けたアクションである。
平均年齢七十歳を超えた被爆者にとって、平和ミッションへの参加は海外で直接多くの人びとに体験を語る歴史的な機会となる。若者たちにとっては、世界の現実を通して「ヒロシマ・ナガサキ」継承の意義を体得し、被爆国民として二十一世紀の平和創造に積極的にかかわる重要さを学ぶ機会となるだろう。
また、二〇〇五年春に国連で開催される核拡散防止条約(NPT)再検討会議に向けて、世界の反核世論を喚起していくことも重要な目的の一つである。
<主催>財団法人広島国際文化財団
<協賛>中国新聞社、中国放送
<後援>広島県、広島市、広島平和文化センター、広島市立大学広島平和研究所、国連大学、国連訓練調査研究所(ユニタール)アジア太平洋地域広島事務所
<派遣地域>【中東・アフリカ】【南アジア】
【北東アジア】【欧州・ロシア】【北米】(具体的な訪問国は査証発給の手続きなどもあり、実際の取り組みの中で最終的に決定する)。
<派遣期間>三月末を目途に、第一陣を「中東・アフリカ」地域へ派遣する。その後、順次他の地域へ派遣し、二〇〇五年五月下旬までの延べ約十五カ月間で完了する。一地域への派遣期間は、三~五週間程度を予定。
参加者を募集
一地域への派遣者数は5人程度で、少なくとも被爆者1人が加わります。「ヒロシマ」とのつながりが深い訪問地の人たちの参加も考慮します。被爆者や若者のほかに、被爆者治療にかかわる医師、学者、通訳者、ミュージシャンら多様な市民の応募を期待します。派遣先によって可能な限りメンバーを変え、多くの人たちが参加できるようにします。
《応募資格》18歳以上で、出発前の事前の学習会などに参加できる方。性別及び広島県内、県外在住を問いません。
《提出書類》①略歴②参加動機をまとめた作文(400~800文字)③顔写真1枚
《希望参加地域》次の中から地域を選び、明記してください(複数の選択も可)【中東・アフリカ】【南アジア】【北東アジア】【欧州・ロシア】【北米】【どの地域でもよい】
《参加費用》参加者は当プロジェクトに意義を見いだして、自主的に参加することを旨とします。このため参加者には旅行経費の一部を負担していただきます。
《提出期間》1月5日(月)~1月26日(月)必着。
《選考》書類選考の後、面接をして決定します。
《問い合わせ先》広島国際文化財団「広島世界平和ミッション」事務局。〒730―8677広島市中区土橋町7の1、中国新聞ビル4階
TEL082―236―2656
ファクス082―236―2461
電子メール:hiroshima-wpm@chugoku-np.co.jp 広島国際文化財団
◆募金のお願い◆
「広島世界平和ミッション」を成功させるために、プロジェクトに賛同する国内外の多くの人びとや団体に募金の協力を呼び掛けます。募金は参加者費用などプロジェクト経費に充てます。募金していただいた方のお名前、団体名はタイムリーに紙面に掲載します。
【募金振込先】
<銀行の場合>
銀行名 広島銀行本店
口座名義 広島国際文化財団広島世界平和ミッション基金
口座番号 普通 3090346
<郵便局の場合>
口座名義 財団法人広島国際文化財団
口座番号 01310―3―11579
(通信欄に「広島世界平和ミッション基金」と明記ください。払込用紙が必要な方は事務局に連絡ください)
各国巡り不戦訴え
「私の心はいつもヒロシマとともにある」―。この言葉通り、バーバラ・レイノルズさん(一九一五―九〇年)の半生は、ヒロシマの世界化にささげられた。
バーバラさんは五一年、広島市南区の原爆傷害調査委員会(ABCC、現放射線影響研究所)研究員の夫アール・レイノルズ氏とともに広島を訪れた。五八年には、米国の水爆実験に抗議し、太平洋エニウェトク環礁の立ち入り禁止海域に、夫と一緒にヨットで乗り入れた。
広島市民との交流を深める中で、六二年には被爆者と原爆孤児の二人を伴って「ヒロシマ平和巡礼」を敢行。米英両国を巡り、スイス・ジュネーブの軍縮会議でも核実験停止などを訴えた。
さらに六四年、「広島・長崎世界平和巡礼」を提唱し、国内外の多くの人びとの協力を得て実現。被爆者や学者、通訳ら四十人が加わり、七十五日間をかけて米国、カナダ、英国、フランス、ベルギー、東西ドイツ、ソ連の八カ国を平和行脚した。
六五年には「ヒロシマの世界への窓口」として、ワールド・フレンドシップ・センターを創設。被爆者の援護活動の傍ら、世界各地からセンターを訪れる若者や学者らに、ヒロシマを深く体験するための機会を提供した。
六九年に帰国した後も、七五年にはオハイオ州ウィルミントン大学に「広島・長崎記念文庫」を開設。この年、広島市はバーバラさんの業績をたたえ特別名誉市民章を贈った。
七九年、カリフォルニア州ロングビーチに移り住んだ後は、ベトナムやカンボジアからの難民の救済に尽くした。その一方で八二年には広島の女性被爆者とワゴン車で米大陸を横断。行く先々で証言の集いを開いた。
敬虔(けいけん)なクエーカー教徒。ヒロシマの「語り部」としての活動は、心臓発作のため七十四歳で亡くなるまでやむことはなかった。
橋渡しの使命 実感
ワールド・フレンドシップ・センター理事長
森下弘さん(73)
広島市佐伯区五日市中央1丁目
「ヒロシマを世界にどう伝えればいいのか、貴重な体験ができた」。広島・長崎世界平和巡礼団の足跡を記録した世界地図を見やりながら言った。
当時は県立廿日市高校の教諭。学校挙げて壮行会を開いてくれた。大半の参加者同様、海外旅行は初めてだった。
米サンフランシスコで高校を訪ねた。理科の授業中、「原爆投下は正当だったか」をめぐって、生徒が討論会を開いていた。「核兵器と真剣に向き合う人が、米国にもたくさんいることに驚いた」
南部の町では高校教諭に尋ねられた。「米国では黒人の差別問題が深刻なのに、教科書には出ていない。日本の教科書は原爆について、詳しく載っているのか」
帰国後、教科書を何冊も見返した。記述はほとんどない。巡礼前はためらっていたが、顔にケロイドの残る自らを「教材」に教壇で語り始めた。同僚や他の被爆教師らと副読本も作った。
旧ドイツでは、冷戦の象徴であるベルリンの壁を目の当たりにした。米ソ両国の政治指導者にも会った。東西冷戦の緊張と、互いの疑心暗鬼を肌で感じた。が、本心はどちらも平和を求めていた。「ヒロシマには対立する両者にそのことを伝える役割があると強く感じた」と言う。
巡礼団への参加が縁で、今もバーバラさんが残したワールド・フレンドシップ・センターの理事長を務める。「バーバラさんなら紛争が続く中東へもきっと行くはず。世界が危機に直面している今だからこそ行動が大切」と、二十一世紀の平和ミッションに期待を寄せる。
米国人に親近感も
海田町原爆被害者の会会長
阿部静子さん(76)
広島県海田町砂走
壇上に赤ら顔の老人が立っていた。ハリー・トルーマン元大統領。「激しい言葉こそ浴びせなかったけど、みんな憎々しい思いでしたよ」。巡礼団は米ミズーリ州のトルーマン図書館で「原爆投下を指示した張本人」と面会した。
トルーマン氏は「私はそれ(It)が再び起こってはならないと思う。なぜなら完全に不必要だったから」と語った。「それ」とは原爆を指すのか、それとも戦争か。一方的な会見のため、真意をただす機会さえもなかった。
原爆は新婚間もない新妻の顔や腕にケロイドを残した。近所や親せきから冷たい仕打ちを受けた。夫がかばってはくれたが「ずっとうつむいて暮らしていた」。被爆者を集めて講話をする施設の関係者に勧められ、巡礼団に参加した。
集会で原爆投下の正当性を振りかざす米国人がいる一方で、温かくホームステイを受け入れてくれる家族もいた。
「人間らしい扱いを受けたのは、被爆以来初めてでした」。毎日食卓に並べてくれた好物のグリーンアスパラの味は今も忘れない。「この家族の上に再び原爆が落とされてはいけない」と、かつての敵国の人たちにも愛情が広がった。
実父母、しゅうとめを送った二十年前から、病身を押して証言活動を続ける。「バーバラさんは物腰が柔らかいけれど、しんの強い人でした」。静かな情熱を受け継いだ。
広島国際文化財団
中国新聞社と中国放送が出資し、1977年に設立した財団法人。事業目標として「人類最初の原爆の惨禍を体験した広島市民の平和への願いと使命感をさらに高め、名実ともに国際平和文化都市広島としての都市づくりに寄与すること」を掲げる。主な事業として、被爆体験の継承と平和創造を目的とした市民の活動を助成する「ヒロシマピースグラント」、地道な市民の国際交流活動を支援する「国際交流奨励賞」などを実施。これまでにも、平和の尊さと核兵器のない世界を訴える「ヒロシマ・アピールズ・ポスター」の制作、米国やアジアの国々から記者を招いて広島・長崎両被爆地で取材し、その内容を母国で報道する「アキバ・プロジェクト」や「アジア人記者招請プロジェクト」などを手掛けてきた。
東京芸術大学長・画家 平山郁夫さん(73)
昨今の地域紛争では、第二次大戦当時の国対国の戦争と異なっており、国内での民族紛争や宗教対立、政治紛争などさまざまな要因から紛争が起こっている。
二十一世紀を平和の世紀とするためには、これら紛争地域の人々を人道的に救わなければならない。貧しい人々を救い、自分たちの文化遺産の価値を知ることによって、精神的な誇りを持ってくる。そのようになるまで、広く浅く経済的に、技術的に支援しながら、やがて自助努力で立ち上がり、国を再建するようになることを願っている。そのために私は「文化財赤十字」の精神を提唱し続けている。
核廃絶へのヒロシマの願いを伝える「広島世界平和ミッション」への協力と成功を祈ってやまない。
歌手 南こうせつさん(54)
毎年、広島でコンサートを開くようになり、その度に原爆養護ホームを訪ねています。
そのとき、あらためて感じるのは、がんなどいまだに放射線後障害に苦しむ被爆者が多いという事実です。原爆は爆風や熱線による瞬時の巨大な破壊力だけでなく、放射線被曝(ばく)という目に見えない形で、人びとや他の生物の命を長年にわたってむしばんでいくのです。
戦争を繰り返してきた人類は、第二次世界大戦中に「究極の兵器」と呼ばれる核兵器をつくり出し、それを広島と長崎の上空で炸裂(さくれつ)させました。人類を破滅に導く核兵器の使用を三度許してはならないのです。その悲劇を体験した日本人には、世界の人びとに核戦争が何をもたらすかを伝える義務があります。
国際社会という「地球村」は、今なお核兵器の脅威やテロ、戦争といった暴力に支配されています。そのことに不安を抱いている人びとがたくさんいます。こういう時代だからこそ、日本人は平和国家としてのありようを世界に大きくアピールしなければなりません。
被爆体験に根ざした「ヒロシマ」のメッセージを人びとに繰り返し繰り返し伝えること。継続する営みが、人から人へと世界をやがて平和な世界に変えていく力になると信じています。
女優 吉永小百合さん(58)
核兵器は、地球上で二度と使用されてはいけないものです。
イラクへの攻撃では、「核兵器が使用されてしまったら、大変なことになる」と、祈るように報道を見つめていました。
広島、長崎のこと、原子爆弾のことを知れば知るほど、原爆投下の瞬間に、私たちの想像を絶することが起きたのだという思いが強くなります。
被爆者や戦争体験者が少なくなっていく今、広島、長崎から発信するメッセージはますます重要です。私たち日本人は、世界の人々にむかって、核兵器の恐怖を訴え続けなければいけないと思います。核の恐ろしさを世界中の人々が知らなければ、また核兵器が使われてしまうのです。
十七年前、原爆詩に出会いました。亡くなった被爆者の無念の思い、悲しみに心が震え、私の朗読の旅が始まりました。これからも、大切なメッセージを伝えるために原爆詩の朗読を続けます。
地球上から核兵器が廃絶されることを切望して、皆さんと一緒に、努力していきたいと思います。
松山バレエ団団長 森下洋子さん(55)
私は「広島生まれ」ということを、いつもほこりに思っております。海外での活動の時も、私が日本人であること、そして広島に生まれたこと、どこの国の方々もとても大切に考えてくださいます。
人類の、世界の平和のために、あってはならない戦争、テロ、核兵器…。どれだけの人が悲しみ、辛(つら)い思いをしてきたでしょうか。私は故郷広島でそのことを本当に身近に感じ、育ってきました。
時代がどんなに移り変わっても平和を思う気持ちは変わりません。ただし、平和をあたりまえと思い、過去の辛い出来事を忘れてはいけないと思うのです。これからの世代、子供たちにどうやって伝えてゆくかが、今の私たちの使命であって、この「広島世界平和ミッション」は重要な任務を担っている活動です。
どうぞ使節団の皆さま、一人でも多くの方々と対話し、伝え、素晴らしい成果をあげてほしいと思います。
物理学者・英国在住・1995年ノーベル平和賞受賞
パグウォッシュ会議名誉会長 ジョセフ・ロートブラットさん(95)
私はあなたたちが取り組もうとする重要な努力に対して、いかなる手助けをも惜しまない。パグウォッシュ会議は、被爆六十周年の二〇〇五年に広島で大会を開く計画である。そのことにあなた方も興味を持たれることであろう。
ちょうどその年は、世界規模で原水爆禁止運動が起きるきっかけとなり、パグウォッシュ運動が誕生する契機ともなった「ラッセル・アインシュタイン宣言」から五十周年に当たっている。
核兵器の脅威を想起することは常に必要なことである。とりわけ〇四年は、貫通型小型核の開発などジョージ・ブッシュ米政権のラディカルな核政策の変化がもたらす新しい危険に対して、国際社会を喚起することが重要である。
パグウォッシュは、これらの新しい危険について公衆に知らせるためのキャンペーンを計画中である。このことは、あなたたちが平和ミッションを通じてやろうとしていることとつながっている。私も喜んであなたたちの働きに加わりたい。
映画監督 新藤兼人さん(91)
人を殺すな
戦争はいやだ。第二次大戦に一兵卒として参戦した資格で一言申す。
戦争をやりたい者は安全な場所から号令し、戦う兵は死と隣りあわせの場所で震えて銃をかまえている。
兵士は家族の父であり兄であり、どんな偉い人よりも大事な人である。
いかなる正義の口実があるにせよ、ただ一つしかない命をもてあそんでいいのか。
歌手 浜田省吾さん(51)
ルーレットは回り続けている
テーブルに積まれた切り札の陰で
誰も皆 勝つことだけを信じて賭けを続ける
憎しみは憎しみで
怒りは怒りで
裁かれることに何故気づかないのか
愛の世代の前の一瞬の閃光に
すりかえられた脆い希望など崩れ落ちていく
「愛の世代の前に」(1981年)
人類が誕生し数百万年、欧米の暦では「B.C.」という記し方がある。キリスト登場前(Before Christ)と、それ以降という考え方だ。
ということであるならば、今年は「A.C.」(After Christ)つまりキリスト登場後2004年となる。しかし、「暦」と言うものは民族や宗教によって異なるものだ。
ところで私には「人類には共通の暦がある」という私見がある。それは、After Atomic Bomb(A.A.B.)だ。核兵器誕生以前の人類と、1945年8月以降の人類は全く違う時代を生きているのだ。A.A.B.60年になる。
◇
地下から地下へ運ばれた爆発物
国家に養われたテロリスト
成層圏に軍事衛星
It’s A NEW STYLE WAR
飽食の北を支えている
飢えた南の痩せた土地
払うべき代償は高く
いつかA NEW STYLE WAR
貧困は差別へと
怒りは暴力へと
受けいれるか
立ち向かうか
どこへも逃げ出す場所は無い
It’s A NEW STYLE WAR
愛は時に あまりに脆く
自由はシステムに組み込まれ
正義はバランスで計られ
It’s A NEW STYLE WAR
「A NEW STYLE WAR」(1986年)
(2004年1月1日朝刊掲載)
被爆者や若者を派遣
対話で信頼はぐくむ
一九七七年の設立以来、米国地方紙記者招請計画(アキバ・プロジェクト)など、広島国際文化財団は被爆地にふさわしいさまざまな平和・文化活動に取り組んできた。その財団が新たに実施する「広島世界平和ミッション」の事業内容は次の通りである。
<目的>「戦争の世紀」だった二十世紀から「平和の世紀」を願った二十一世紀。しかし、人類が直面する世界の現実は核兵器、戦争、テロの脅威に覆われ、戦争誘引の要因でもある南北間の貧富の差も依然解消されていない。世界の圧倒的多数の人びとはなお、核戦争の本当の被害実態を知らない。武力行使を「正義」とする風潮も強まっている。
被爆者ら広島市民、県民は、原爆による「生き地獄」の惨禍の中から人類史における「被爆体験の意味」を問い続け、憎悪や報復ではなく、平和と和解の精神の重要さを学んできた。
「広島世界平和ミッション」は、被爆者らを含む使節団を核保有国や潜在保有国、紛争地域などへ派遣し、核廃絶へのヒロシマの願いを伝えるとともに、対話を通じて信頼を醸成し、戦争や紛争防止に貢献したいという被爆地から世界へ向けたアクションである。
平均年齢七十歳を超えた被爆者にとって、平和ミッションへの参加は海外で直接多くの人びとに体験を語る歴史的な機会となる。若者たちにとっては、世界の現実を通して「ヒロシマ・ナガサキ」継承の意義を体得し、被爆国民として二十一世紀の平和創造に積極的にかかわる重要さを学ぶ機会となるだろう。
また、二〇〇五年春に国連で開催される核拡散防止条約(NPT)再検討会議に向けて、世界の反核世論を喚起していくことも重要な目的の一つである。
<主催>財団法人広島国際文化財団
<協賛>中国新聞社、中国放送
<後援>広島県、広島市、広島平和文化センター、広島市立大学広島平和研究所、国連大学、国連訓練調査研究所(ユニタール)アジア太平洋地域広島事務所
<派遣地域>【中東・アフリカ】【南アジア】
【北東アジア】【欧州・ロシア】【北米】(具体的な訪問国は査証発給の手続きなどもあり、実際の取り組みの中で最終的に決定する)。
<派遣期間>三月末を目途に、第一陣を「中東・アフリカ」地域へ派遣する。その後、順次他の地域へ派遣し、二〇〇五年五月下旬までの延べ約十五カ月間で完了する。一地域への派遣期間は、三~五週間程度を予定。
参加者を募集
一地域への派遣者数は5人程度で、少なくとも被爆者1人が加わります。「ヒロシマ」とのつながりが深い訪問地の人たちの参加も考慮します。被爆者や若者のほかに、被爆者治療にかかわる医師、学者、通訳者、ミュージシャンら多様な市民の応募を期待します。派遣先によって可能な限りメンバーを変え、多くの人たちが参加できるようにします。
《応募資格》18歳以上で、出発前の事前の学習会などに参加できる方。性別及び広島県内、県外在住を問いません。
《提出書類》①略歴②参加動機をまとめた作文(400~800文字)③顔写真1枚
《希望参加地域》次の中から地域を選び、明記してください(複数の選択も可)【中東・アフリカ】【南アジア】【北東アジア】【欧州・ロシア】【北米】【どの地域でもよい】
《参加費用》参加者は当プロジェクトに意義を見いだして、自主的に参加することを旨とします。このため参加者には旅行経費の一部を負担していただきます。
《提出期間》1月5日(月)~1月26日(月)必着。
《選考》書類選考の後、面接をして決定します。
《問い合わせ先》広島国際文化財団「広島世界平和ミッション」事務局。〒730―8677広島市中区土橋町7の1、中国新聞ビル4階
TEL082―236―2656
ファクス082―236―2461
電子メール:hiroshima-wpm@chugoku-np.co.jp 広島国際文化財団
◆募金のお願い◆
「広島世界平和ミッション」を成功させるために、プロジェクトに賛同する国内外の多くの人びとや団体に募金の協力を呼び掛けます。募金は参加者費用などプロジェクト経費に充てます。募金していただいた方のお名前、団体名はタイムリーに紙面に掲載します。
【募金振込先】
<銀行の場合>
銀行名 広島銀行本店
口座名義 広島国際文化財団広島世界平和ミッション基金
口座番号 普通 3090346
<郵便局の場合>
口座名義 財団法人広島国際文化財団
口座番号 01310―3―11579
(通信欄に「広島世界平和ミッション基金」と明記ください。払込用紙が必要な方は事務局に連絡ください)
バーバラさんの足跡
各国巡り不戦訴え
「私の心はいつもヒロシマとともにある」―。この言葉通り、バーバラ・レイノルズさん(一九一五―九〇年)の半生は、ヒロシマの世界化にささげられた。
バーバラさんは五一年、広島市南区の原爆傷害調査委員会(ABCC、現放射線影響研究所)研究員の夫アール・レイノルズ氏とともに広島を訪れた。五八年には、米国の水爆実験に抗議し、太平洋エニウェトク環礁の立ち入り禁止海域に、夫と一緒にヨットで乗り入れた。
広島市民との交流を深める中で、六二年には被爆者と原爆孤児の二人を伴って「ヒロシマ平和巡礼」を敢行。米英両国を巡り、スイス・ジュネーブの軍縮会議でも核実験停止などを訴えた。
さらに六四年、「広島・長崎世界平和巡礼」を提唱し、国内外の多くの人びとの協力を得て実現。被爆者や学者、通訳ら四十人が加わり、七十五日間をかけて米国、カナダ、英国、フランス、ベルギー、東西ドイツ、ソ連の八カ国を平和行脚した。
六五年には「ヒロシマの世界への窓口」として、ワールド・フレンドシップ・センターを創設。被爆者の援護活動の傍ら、世界各地からセンターを訪れる若者や学者らに、ヒロシマを深く体験するための機会を提供した。
六九年に帰国した後も、七五年にはオハイオ州ウィルミントン大学に「広島・長崎記念文庫」を開設。この年、広島市はバーバラさんの業績をたたえ特別名誉市民章を贈った。
七九年、カリフォルニア州ロングビーチに移り住んだ後は、ベトナムやカンボジアからの難民の救済に尽くした。その一方で八二年には広島の女性被爆者とワゴン車で米大陸を横断。行く先々で証言の集いを開いた。
敬虔(けいけん)なクエーカー教徒。ヒロシマの「語り部」としての活動は、心臓発作のため七十四歳で亡くなるまでやむことはなかった。
40年前の平和巡礼参加者
橋渡しの使命 実感
ワールド・フレンドシップ・センター理事長
森下弘さん(73)
広島市佐伯区五日市中央1丁目
「ヒロシマを世界にどう伝えればいいのか、貴重な体験ができた」。広島・長崎世界平和巡礼団の足跡を記録した世界地図を見やりながら言った。
当時は県立廿日市高校の教諭。学校挙げて壮行会を開いてくれた。大半の参加者同様、海外旅行は初めてだった。
米サンフランシスコで高校を訪ねた。理科の授業中、「原爆投下は正当だったか」をめぐって、生徒が討論会を開いていた。「核兵器と真剣に向き合う人が、米国にもたくさんいることに驚いた」
南部の町では高校教諭に尋ねられた。「米国では黒人の差別問題が深刻なのに、教科書には出ていない。日本の教科書は原爆について、詳しく載っているのか」
帰国後、教科書を何冊も見返した。記述はほとんどない。巡礼前はためらっていたが、顔にケロイドの残る自らを「教材」に教壇で語り始めた。同僚や他の被爆教師らと副読本も作った。
旧ドイツでは、冷戦の象徴であるベルリンの壁を目の当たりにした。米ソ両国の政治指導者にも会った。東西冷戦の緊張と、互いの疑心暗鬼を肌で感じた。が、本心はどちらも平和を求めていた。「ヒロシマには対立する両者にそのことを伝える役割があると強く感じた」と言う。
巡礼団への参加が縁で、今もバーバラさんが残したワールド・フレンドシップ・センターの理事長を務める。「バーバラさんなら紛争が続く中東へもきっと行くはず。世界が危機に直面している今だからこそ行動が大切」と、二十一世紀の平和ミッションに期待を寄せる。
米国人に親近感も
海田町原爆被害者の会会長
阿部静子さん(76)
広島県海田町砂走
壇上に赤ら顔の老人が立っていた。ハリー・トルーマン元大統領。「激しい言葉こそ浴びせなかったけど、みんな憎々しい思いでしたよ」。巡礼団は米ミズーリ州のトルーマン図書館で「原爆投下を指示した張本人」と面会した。
トルーマン氏は「私はそれ(It)が再び起こってはならないと思う。なぜなら完全に不必要だったから」と語った。「それ」とは原爆を指すのか、それとも戦争か。一方的な会見のため、真意をただす機会さえもなかった。
原爆は新婚間もない新妻の顔や腕にケロイドを残した。近所や親せきから冷たい仕打ちを受けた。夫がかばってはくれたが「ずっとうつむいて暮らしていた」。被爆者を集めて講話をする施設の関係者に勧められ、巡礼団に参加した。
集会で原爆投下の正当性を振りかざす米国人がいる一方で、温かくホームステイを受け入れてくれる家族もいた。
「人間らしい扱いを受けたのは、被爆以来初めてでした」。毎日食卓に並べてくれた好物のグリーンアスパラの味は今も忘れない。「この家族の上に再び原爆が落とされてはいけない」と、かつての敵国の人たちにも愛情が広がった。
実父母、しゅうとめを送った二十年前から、病身を押して証言活動を続ける。「バーバラさんは物腰が柔らかいけれど、しんの強い人でした」。静かな情熱を受け継いだ。
広島国際文化財団
中国新聞社と中国放送が出資し、1977年に設立した財団法人。事業目標として「人類最初の原爆の惨禍を体験した広島市民の平和への願いと使命感をさらに高め、名実ともに国際平和文化都市広島としての都市づくりに寄与すること」を掲げる。主な事業として、被爆体験の継承と平和創造を目的とした市民の活動を助成する「ヒロシマピースグラント」、地道な市民の国際交流活動を支援する「国際交流奨励賞」などを実施。これまでにも、平和の尊さと核兵器のない世界を訴える「ヒロシマ・アピールズ・ポスター」の制作、米国やアジアの国々から記者を招いて広島・長崎両被爆地で取材し、その内容を母国で報道する「アキバ・プロジェクト」や「アジア人記者招請プロジェクト」などを手掛けてきた。
紛争地域の再建支援を
東京芸術大学長・画家 平山郁夫さん(73)
昨今の地域紛争では、第二次大戦当時の国対国の戦争と異なっており、国内での民族紛争や宗教対立、政治紛争などさまざまな要因から紛争が起こっている。
二十一世紀を平和の世紀とするためには、これら紛争地域の人々を人道的に救わなければならない。貧しい人々を救い、自分たちの文化遺産の価値を知ることによって、精神的な誇りを持ってくる。そのようになるまで、広く浅く経済的に、技術的に支援しながら、やがて自助努力で立ち上がり、国を再建するようになることを願っている。そのために私は「文化財赤十字」の精神を提唱し続けている。
核廃絶へのヒロシマの願いを伝える「広島世界平和ミッション」への協力と成功を祈ってやまない。
継続こそ世を変える力
歌手 南こうせつさん(54)
毎年、広島でコンサートを開くようになり、その度に原爆養護ホームを訪ねています。
そのとき、あらためて感じるのは、がんなどいまだに放射線後障害に苦しむ被爆者が多いという事実です。原爆は爆風や熱線による瞬時の巨大な破壊力だけでなく、放射線被曝(ばく)という目に見えない形で、人びとや他の生物の命を長年にわたってむしばんでいくのです。
戦争を繰り返してきた人類は、第二次世界大戦中に「究極の兵器」と呼ばれる核兵器をつくり出し、それを広島と長崎の上空で炸裂(さくれつ)させました。人類を破滅に導く核兵器の使用を三度許してはならないのです。その悲劇を体験した日本人には、世界の人びとに核戦争が何をもたらすかを伝える義務があります。
国際社会という「地球村」は、今なお核兵器の脅威やテロ、戦争といった暴力に支配されています。そのことに不安を抱いている人びとがたくさんいます。こういう時代だからこそ、日本人は平和国家としてのありようを世界に大きくアピールしなければなりません。
被爆体験に根ざした「ヒロシマ」のメッセージを人びとに繰り返し繰り返し伝えること。継続する営みが、人から人へと世界をやがて平和な世界に変えていく力になると信じています。
核廃絶の日まで 共に
女優 吉永小百合さん(58)
核兵器は、地球上で二度と使用されてはいけないものです。
イラクへの攻撃では、「核兵器が使用されてしまったら、大変なことになる」と、祈るように報道を見つめていました。
広島、長崎のこと、原子爆弾のことを知れば知るほど、原爆投下の瞬間に、私たちの想像を絶することが起きたのだという思いが強くなります。
被爆者や戦争体験者が少なくなっていく今、広島、長崎から発信するメッセージはますます重要です。私たち日本人は、世界の人々にむかって、核兵器の恐怖を訴え続けなければいけないと思います。核の恐ろしさを世界中の人々が知らなければ、また核兵器が使われてしまうのです。
十七年前、原爆詩に出会いました。亡くなった被爆者の無念の思い、悲しみに心が震え、私の朗読の旅が始まりました。これからも、大切なメッセージを伝えるために原爆詩の朗読を続けます。
地球上から核兵器が廃絶されることを切望して、皆さんと一緒に、努力していきたいと思います。
過去 忘れてはいけない
松山バレエ団団長 森下洋子さん(55)
私は「広島生まれ」ということを、いつもほこりに思っております。海外での活動の時も、私が日本人であること、そして広島に生まれたこと、どこの国の方々もとても大切に考えてくださいます。
人類の、世界の平和のために、あってはならない戦争、テロ、核兵器…。どれだけの人が悲しみ、辛(つら)い思いをしてきたでしょうか。私は故郷広島でそのことを本当に身近に感じ、育ってきました。
時代がどんなに移り変わっても平和を思う気持ちは変わりません。ただし、平和をあたりまえと思い、過去の辛い出来事を忘れてはいけないと思うのです。これからの世代、子供たちにどうやって伝えてゆくかが、今の私たちの使命であって、この「広島世界平和ミッション」は重要な任務を担っている活動です。
どうぞ使節団の皆さま、一人でも多くの方々と対話し、伝え、素晴らしい成果をあげてほしいと思います。
被爆60周年に向け協力
物理学者・英国在住・1995年ノーベル平和賞受賞
パグウォッシュ会議名誉会長 ジョセフ・ロートブラットさん(95)
私はあなたたちが取り組もうとする重要な努力に対して、いかなる手助けをも惜しまない。パグウォッシュ会議は、被爆六十周年の二〇〇五年に広島で大会を開く計画である。そのことにあなた方も興味を持たれることであろう。
ちょうどその年は、世界規模で原水爆禁止運動が起きるきっかけとなり、パグウォッシュ運動が誕生する契機ともなった「ラッセル・アインシュタイン宣言」から五十周年に当たっている。
核兵器の脅威を想起することは常に必要なことである。とりわけ〇四年は、貫通型小型核の開発などジョージ・ブッシュ米政権のラディカルな核政策の変化がもたらす新しい危険に対して、国際社会を喚起することが重要である。
パグウォッシュは、これらの新しい危険について公衆に知らせるためのキャンペーンを計画中である。このことは、あなたたちが平和ミッションを通じてやろうとしていることとつながっている。私も喜んであなたたちの働きに加わりたい。
「人を殺すな」
映画監督 新藤兼人さん(91)
人を殺すな
戦争はいやだ。第二次大戦に一兵卒として参戦した資格で一言申す。
戦争をやりたい者は安全な場所から号令し、戦う兵は死と隣りあわせの場所で震えて銃をかまえている。
兵士は家族の父であり兄であり、どんな偉い人よりも大事な人である。
いかなる正義の口実があるにせよ、ただ一つしかない命をもてあそんでいいのか。
人類には共通の暦がある
歌手 浜田省吾さん(51)
ルーレットは回り続けている
テーブルに積まれた切り札の陰で
誰も皆 勝つことだけを信じて賭けを続ける
憎しみは憎しみで
怒りは怒りで
裁かれることに何故気づかないのか
愛の世代の前の一瞬の閃光に
すりかえられた脆い希望など崩れ落ちていく
「愛の世代の前に」(1981年)
人類が誕生し数百万年、欧米の暦では「B.C.」という記し方がある。キリスト登場前(Before Christ)と、それ以降という考え方だ。
ということであるならば、今年は「A.C.」(After Christ)つまりキリスト登場後2004年となる。しかし、「暦」と言うものは民族や宗教によって異なるものだ。
ところで私には「人類には共通の暦がある」という私見がある。それは、After Atomic Bomb(A.A.B.)だ。核兵器誕生以前の人類と、1945年8月以降の人類は全く違う時代を生きているのだ。A.A.B.60年になる。
◇
地下から地下へ運ばれた爆発物
国家に養われたテロリスト
成層圏に軍事衛星
It’s A NEW STYLE WAR
飽食の北を支えている
飢えた南の痩せた土地
払うべき代償は高く
いつかA NEW STYLE WAR
貧困は差別へと
怒りは暴力へと
受けいれるか
立ち向かうか
どこへも逃げ出す場所は無い
It’s A NEW STYLE WAR
愛は時に あまりに脆く
自由はシステムに組み込まれ
正義はバランスで計られ
It’s A NEW STYLE WAR
「A NEW STYLE WAR」(1986年)
(2004年1月1日朝刊掲載)