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連載・特集

広島世界平和ミッション 参加への思い <1> 寺本貴司さん(69) 無職=広島県大野町宮島口東

報復 決して勝利ない

 「広島世界平和ミッション」(広島国際文化財団主催)の第一陣の派遣団員に選ばれた被爆者ら五人は、三月下旬から中東・アフリカ地域を巡る。紛争地域や潜在核保有国などへの出発を約一カ月後に控え、平和ミッション参加への動機や意気込みをそれぞれにつづってもらった。

 一九九八年から、原爆資料館(広島市中区)の展示の説明や平和記念公園内の碑巡り案内をするヒロシマ・ピース・ボランティアを務めている。それがきっかけとなって、修学旅行生らに自らの被爆体験も語るようになった。四十年余の会社勤めを終えたのを機に、一念発起してボランティアの輪に加わった。

 爆心から約一キロの中区広瀬北町の自宅で、十歳の時に被爆した。広島県双三郡の寺へ学童疎開していたが、体調を壊して疎開先から二日前に帰宅していた。

 机の前で疎開先へはがきを書いていたその時、背後の天窓に光を感じ振り向いた。あとの記憶は暗闇だけ。原爆を「ピカドン」と呼ぶが、音は覚えていない。

 近所のおばさんに背負われて逃げた。川土手で休んでいたら、黒い雨が降ってきた。

 母は家の下敷きになった。助け出されはしたが、九日後に亡くなった。私は広島県筒賀村の伯母の元で、脱毛などの苦しみを味わった。当時の悲惨な情景は今も、脳裏に焼き付いて消えない。

 来館者から「米国を憎む気持ちはないか」と尋ねられる。母を殺された記憶は今も鮮明に残っている。「憎む気持ち」がないとは言えない。しかし、あの悲惨な体験を、子や孫の頭上に再び起こしてはならない、との思いが憎しみより勝る。

 報復の連鎖では平和は決して訪れない。中東などの紛争地域では自爆テロが続いている。命の代償に何を得たのだろうか。命を大切に平和な国づくりに尽くすことが、より重要であろうに。

 報復には決して勝利はない。核戦争は人間社会全体を破滅させる。自らの被爆体験から得たこうした実感を世界に訴え、平和の尊さを人々と分かち合いたい。

 それにしても、最近の国内外の世情の変化を見るにつけ、「ヒロシマ、ナガサキの記憶」は忘れ去られたのかとの思いが強くなる。体験的な記憶が伝えられるのは、私たちの世代までだろう。次世代に体験を継承しなければ…。焦りの一方で、使命感にも似た思いに突き動かされている。

てらもと・たかし
 広瀬国民学校5年の時に被爆。広島修道高を卒業後、1954年中国電力に入社。90年に関連会社に出向、総務部長などを歴任して97年に退職。翌年から原爆資料館のボランティアガイドなど平和活動に打ち込む。広島市中区出身。

(2004年2月20日朝刊掲載)

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