×

連載・特集

広島世界平和ミッション 参加への思い <2> 津谷静子さん(48) 薬剤師=広島市東区牛田早稲田

ヒロシマ発 医療支援

 医師の夫は一九九二年、広島県や県医師会など被爆地の行政機関や医療機関でつくる放射線被曝(ばく)者医療国際協力推進協議会(HICARE)の派遣団の一員として、旧ソ連を訪れた。夫の経験を通して、チェルノブイリ原発事故によって引き起こされた放射性降下物による広域汚染の怖さを知った。

 二年後、放射線被害や紛争などによる被災民や難民、とりわけ子どもたちを対象に医療品を届け、健康診断を行うボランティア団体「モーストの会」を立ち上げた。モーストとはロシア語で「懸け橋」の意味である。

 これまでにロシア、ベラルーシ、ウクライナの小児病院、チェチェンの難民を支援してきた。

 活動を通して、さまざまなことを学んだ。健康診断をしても、治療薬や検査器具が極めて不足している。病気が分かっても治療が不可能なケースもある。ウクライナでは採血のための注射針がなく、メスで皮膚を切り、採血していた現場にも出くわした。

 厳しい現実に触れ、何か意味のない努力をしているような心境に陥った。しかし、何年か続けるうちに、ある確信を持つようになった。小さな活動の集積が、やがて大きなうねりとなって国を動かす。世界平和の実現も、一人ひとりの小さな働きかけから生まれるに違いない、と。

 昨年からパレスチナ自治区のガザ地区へ、国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)を通して、ぜんそく薬を届ける活動も始めた。だが輸送に手間取るなど困難な課題も多い。現地を訪ねて実情を理解するとともに、スムーズな支援の手段も探りたい。

 被爆地広島の薬剤師として、薬とのかかわりを思うとき、被爆直後の広島に十五トンの医薬品を届けてくれたスイス人医師のマルセル・ジュノー博士の功績を思い出す。博士をはじめ、海外から広島に手を差し伸べてくれた多くの人々の根底にある愛の力で、私たちは憎しみから、和解への道を選んだといえるのではないだろうか…。

 この平和ミッションを通して、今度は広島から世界に愛を届けられることを願っている。

つや・しずこ
 昭和大(東京都)薬学部卒。同大中央検査室で勤務した後、1982年内科医の夫と結婚して広島市へ。現在は夫の内科クリニックで薬剤師兼臨床検査技師を務める傍ら「モーストの会」の会長として、医療支援に当たる。新潟県柏崎市出身。

(2004年2月21日朝刊掲載)

年別アーカイブ