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連載・特集

広島世界平和ミッション 参加への思い <4> 小山顕さん(24) 専門学校生=広島市東区牛田本町

多様な意見聞きたい

 小学高学年の時、社会見学で初めて原爆資料館(広島市中区)を見学した。やけどで皮膚がぶらさがった被爆者を模したろう人形が目に焼きついて、その夜は怖くて眠れなかった。

 中学生の時、自衛隊のカンボジア派遣のニュースをテレビで見ていると、そばから母が言った。「あなたもいつか行かされるようになったらどうする」と。その言葉に、初めて自分のこととして戦争を身近に感じるようになった。それまでの漠然とした戦争や原爆への恐怖から、積極的に平和を求めなければとの思いが芽生えた。

 大学で国際政治学を専攻したのも、世界の人々に平和を訴えるには、国際政治の基礎を知る必要があると考えたからである。卒業後は、国際機関で働きたいとの夢を捨て切れず、英語を学ぶために二年前に専門学校に入学した。

 授業では英字紙に掲載された時事問題をテーマに、米国人や英国人講師と議論することも多い。その議論を通して、平和や戦争、核兵器に対するとらえ方の多様さを肌身で感じている。

 例えば、イラク戦争について米国人講師の一人は「国民を抑圧するサダム・フセイン大統領は打倒されて当然」と言い切る。別の米国人は「大量破壊兵器が見つかっていないのに攻撃するのは、石油など米国企業の利権確保のためだ」と反論する。「核兵器のおかげで大きな戦争はなかった」と抑止論を固く信じる講師もいる。

 だれもが平和を望んでいる。「核兵器もないにこしたことはない」と口をそろえる。でも平和を実現する手立となると、意見はばらばらである。

 敵対する者同士が隣り合わせで暮らすイスラエルやパレスチナでは、人々は毎日どんなストレスにさらされているのだろう。南アフリカでは保有していた核兵器を解体した。核抑止論に固執する核保有国の姿を見れば、不可能にすら思える政策決定をなぜ実現できたのだろう。

 欧米以外の国々や紛争の相次ぐ地域の人々の声をもっと聞いてみたい。そんな体験を通して、より説得力をもって人々に平和の尊さや戦争の愚かさについて語れるようになりたいと思う。

こやま・あきら
 2002年3月広島修道大国際政治学科を卒業後、広島外語専門学校へ。英語講師や飲食店店員としてアルバイトをしながら、英語を学んでいる。広島市西区出身。

(2004年2月23日朝刊掲載)

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