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連載・特集

広島世界平和ミッション 参加への思い <5> 荊尾遥さん(21) 大学生=東京都小平市

対立の根 克服策探る

 大学で国際政治学を専攻している。広島市出身の私にとって、研究のバックボーンは常に「ヒロシマの視点」である。その視点を軸に、国民国家の枠組みを超えた問題提起を行い、現在の極めて不安定な安全保障の在り方を克服すべく研究を続けている。

 今は卒業論文の作成に向けて、非核兵器地帯構想に関する内外の多くの文献に目を通している。

 私の問題意識の出発点は、高校三年の二〇〇〇年から、毎年広島市で開かれている市民団体「インド・パキスタン青少年と平和交流をすすめる会」への参加だった。

 昨年は成田空港に到着したパキスタンの参加者を引率。関西空港に着いたインド組を新幹線の中で迎えた。敵対する両国の若者が、徐々に「同じ人間」という目線で打ち解けていく様子は、ひときわ感慨深いものであった。

 互いに不信感を抱き合い、核抑止論を肯定する両国の将来を担う若者が、被爆地広島で原爆被害の実態を肌で実感し、核兵器廃絶への強い意志を持つ。その過程をつぶさに見ることで、私自身、核廃絶に向けて何か貢献したいという使命感を毎年新たにしている。

 印パの青少年とのかかわりのほかに私は、「世界学生会議」をはじめ、さまざまな機会をとらえ世界の人々と「対話」をしてきた。

 昨年十一月、東京で開かれた「世界の若者による対話」では、中東問題の象徴であるイスラエル・パレスチナの当事国の若者と意見を交わした。その際も、ヒロシマの果たし得る役割の大きさを強く感じた。

 年末に私は、彼らが現地で行う平和交流の参考のため、広島での印パの若者との交流について電子メールで紹介した。即座にこんな返事が届いた。「インドとパキスタンの若者の反応を読んで涙が出てきた。ヒロシマを知った後の彼らの考え方の変化には驚く」と。

 私はこの平和ミッションを通じて出会う人々と、世界のどこに住んでいようと、だれもが等しく危うい運命にさらされているのだという認識を共有して、平和構築への道筋を探っていきたい。(おわり)

かたらお・はるか
 2001年広島女学院高から津田塾大(東京都)へ。現在学芸学部国際関係学科3年。この間「世界学生会議」などの実行委を務める。02年には「ヒロシマ・ナガサキ反核平和使節団」に加わり、米国を訪問。広島市安佐北区出身。

  (2004年2月24日朝刊掲載)

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