×

連載・特集

広島世界平和ミッション 各界からメッセージ 混迷の世 ヒロシマ出番

 広島国際文化財団(山本信子理事長)主催の被爆60周年プロジェクト「広島世界平和ミッション」に対し、因島市出身の女優、東ちづるさん、被爆者で漫画家の中沢啓治さんら広島にゆかりの深い国内外の著名人ら6人から賛同のメッセージが届いた。テロや報復戦争、核兵器使用の可能性が続く21世紀初頭の混迷する世界にあって、被爆地広島からの「平和アクション」に、それぞれ大きな期待を寄せている。平和ミッションでは、被爆者や学者、若者らを3月末から順次、核保有国や潜在保有国、世界の紛争地に派遣。原爆被害の実態とともに、対話を通じて「平和と和解」のメッセージを伝える。

人も国も変わるはず

女優 東ちづるさん(43)

 戦争をしている国の人達(たち)はどうしようもない人達ではありません。

 元は皆、優しい人達でした。私たちと同じ人間なのですから。

 ドイツには「平和村」という、アンゴラやアフガニスタンなど戦争で傷ついた子どもたちを受け入れるボランティア施設があります。

 平和村の子どもたちは、幾度もの手術・治療を受けた後、数年、平和村で過ごします。

 心身ともにリハビリをするのです、

 そこで、国籍、人種、性別、宗教、価値観…等が違う仲間と遊び、ケンカをし、仲直りをする生活をし、「日常」を学びます。

 そして、母国に帰った時、戦争を非難し、教育・医療の重要性を訴えるのです。

 実際、アフガニスタンに戻ったアサデゥラ君は、銃を捨て、女性の同権を考えています。

 人は変わります。いずれ、国も変わります。平和は祈るものではなく、人の手で作り、育(はぐく)むもの。

 あの子たちにガンバレと言わないでください。ガンバルのは戦争をしていない国の私たちです。同じ地球人として。

核廃絶 訴え粘り強く

漫画家 中沢啓治さん(64)

 核兵器廃絶の訴えを聞いてもらえるまでは、しつこく、しつこく、繰り返すしかない。

 爆心地から一・二キロの神崎小学校(中区舟入中町)で被爆した。父と姉と弟は、原爆につぶされた舟入本町の自宅の下敷きになり、火にじわじわ焼かれて亡くなった。その日に生まれた妹も、ほどなくして命尽きた。

 「あの日のことを言わずにおくものか」。家族を殺された怨念(おんねん)で、「はだしのゲン」をはじめ、作品を描き続けてきた。

 二十一世紀に入っても、人間は進歩していない。核兵器は拡散しつつあり、核兵器の脅威は膨らむばかりだ。「はかり知れない破壊力があるこんなものをつくって喜んでいるのか」。インド、パキスタンの核開発競争が、腹立たしくてならない。

 人間同士が話し合う場であるはずの国連が、米国に牛耳られている現状に無力感を覚えることもある。でも、こんな現実だからこそ、なおさら世界の国々が手を握り合える状況を生み出さなければならない。その見本を示すのが、日本であり、ヒロシマである。

 平和ミッションを通じて、核兵器や放射能の恐ろしさをありのまま伝えてほしい。訪問地の人びとの反応が薄くても、あきらめたら人類に未来はない。絶えず、ヒロシマから世界の人びとにアプローチを続けていくしかない。

和解の心 共有したい

国連訓練調査研究所アジア太平洋地域広島事務所長 ナスリーン・アジミさん(44)

 人びとが顔と顔を見ながら交流する以上に、互いに相手を真に理解し、近づけ合うものはありません。

 「広島世界平和ミッション」の第一陣派遣メンバーは、間もなくイスラエル、南アフリカなど中東アフリカ地域へ旅立ちます。訪問国はそれぞれに核兵器開発能力を持っていたり、その野心を抱いている国ですが、使節団はこのユニークな機会をとらえて、訪問地の人びとがどんな希望や不安、不信を抱いているかに耳を傾けようとしています。

 その一方で、想像を絶する原爆の惨禍を体験した「広島市民」として、核戦争の悲惨な現実を伝え、平和と和解の精神を共有したいと願っています。

 もっとも、だれ一人として本当の地獄は想像できないでしょう。被爆者が味わった苦悶(くもん)や苦痛を完全に人びとに伝えることも困難なことです。

 しかし、私たちは今、少なくとも次のことを十分に理解しているだろうと思います。つまり、私たちが情熱と緊急性をもって行動しなければ、私たちの住む世界、輝ける青い地球は、非常に危険な核戦争の断崖(だんがい)に向かって進んでいるということを…。

 日本国憲法の草案づくりにかかわったことなどで知られる私の友人の米国人女性、ベアテ・シロタ・ゴードンさんは「結局、世界中の人びとは違いよりも、はるかに共通点が多い」という点を自らの体験から強調しています。

 広島からの使節団はきっと、この旅で出会うすべての人びとに平和のために手をつなぐことの必要性と、核兵器の危険を確信させてくれるに違いありません。

「愛の傘」実現しよう

歌手 喜納昌吉さん(55)

 被爆五十周年の一九九五年、沖縄から手こぎ舟で長崎、広島を結ぶ祈りの旅をした。原体験が残る三つの地がリンクできれば、戦争の記憶を風化させず、平和への新しい流れがつくり出せると考えたからだ。

 昨年二月には、イラクの首都バグダッドで、米国の対イラク攻撃に反対する平和コンサートを開いた。翌月、広島市中区の中央公園であった「NO WAR(戦争) NO DU(劣化ウラン弾)!」の人文字集会に駆け付けた。

 「戦争を止めるために何かしたい」。そんな思いを抱いて集まった六千人の市民の平和への熱気に触れた。ヒロシマとナガサキ、オキナワが立ち上がることは、全世界の希望だ。

 恐怖に縛られた「核の傘」による調和ではなく、真理に根ざした「愛の傘」による調和を実現しよう。力によるファシズムではなく、非暴力による平和な世界の実現を目指そう。

 人類初の被爆地であるヒロシマが、この地球を争いの場から、全人類が友達になるための和合の場に変えることに力を注げば、紛争地の住民ら世界の人びとにとって、大いなる励ましのメッセージとなるであろう。

映画「千羽鶴」 底流同じ

米国映像製作会社「デジタル・ドメイン」社長 スコット・ロスさん(52)

 「広島世界平和ミッション」の賛同者に名を連ねることで、間接的にこのミッションに参加できることを光栄に思う。

 私は一九五〇年代に、米国で子ども時代を過ごしながら、いつも原爆の恐ろしさに金縛りにあっていた。学校での原爆避難訓練のとき、子どもたちは教室の机の下に隠れて、窓から離れるように指示された。ロシア(旧ソ連)の大陸間弾道ミサイル(ICBM)が私たちの都市を核攻撃した際に、殺されないようにするためである。

 私は机の下に隠れることが、なぜ核攻撃から自分たちを守ることになるのかどうしても理解できなかった。米国が実施したさまざまな核実験の映像を見ることで、みすぼらしい机が私の命を救ってはくれないことを直感的に知っていたからだ。

 そのときから私は、核戦争から自分の命を救う唯一の確実な方法は、核兵器を廃絶することであると気づいた。

 それから四十年が過ぎ、核兵器のない世界の実現に向けた私の希望と努力は、広島の原爆をテーマにした映画「A THOUSAND CRANES(千羽鶴)」の製作に向けられてきた。そのために過去六年間を費やしてきた。

 その映画は、世界の人びとに核戦争の恐怖を、「ヒロシマ」を、そして愛について描いたものである。そのメッセージは、方法は違っても平和ミッションの目的と底流で重なっていると思う。

国際社会の結束必要

国連アジア太平洋 平和軍縮センター所長 石栗勉さん(55)

 来年は被爆六十周年を迎えます。しかしながら、不十分な核兵器削減、新型核兵器開発とその使用可能性、北朝鮮の核計画やイランの核疑惑など核不拡散体制上の重大な危機、インド、パキスタンの核兵器保有、イスラエルの核兵器保有の可能性など、核をめぐる状況はかつてないほど厳しい状況にあります。

 紛争地域に属する国々の核保有は、ミサイル開発とも併せてさらに緊張を高めるのみならず、核の使用すら排除できない状況です。加えて、テロリストが大量破壊兵器を獲得するようなことになれば、未曽有の危機に直面することになります。こうした問題の解決に向けては、国際社会の一員として各国政府のみならず、非政府組織(NGO)を含むあらゆる機関、団体、個人の努力が必要です。

 遅々として進まない核軍縮を前に、被爆者を含む広島、長崎の皆さんが、その悲惨な体験にもかかわらず、憎しみを超越し、世界中のすべての核兵器の廃絶を訴えてこられた勇気に深い敬意を表します。皆さんの努力により、「核兵器を二度と使ってはならない」という重い規範がこれまで守られてきました。

 私は、広島、長崎への原爆投下は、ぬぐい難い人類史上の汚点であると考えています。

 「広島世界平和ミッション」が、各地を訪れ、被爆の実相を伝え、関係者と率直な意見交換を行なうことにより、人類共通の課題として、「核兵器は二度と使ってはならない」「核の廃絶につながる実質的な削減が必要」との認識が共有されることを願っています。そして、そのための努力が継続、強化されることを心から期待します。

(2004年3月8日朝刊掲載)

年別アーカイブ