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連載・特集

広島世界平和ミッション 南アフリカ編 虹の彼方に <2> 消えた右手 不発弾暴発 癒えぬ恐怖

 丘の斜面に平屋が密集している。首都プレトリア近郊の黒人居住区アトリッジビル。赤土むきだしの道に土ぼこりが舞う。核兵器製造に使われていたぺリンダバ核関連施設の煙突が、ほこりでかすんで見えた。

 広島世界平和ミッションの第一陣参加者は、プレトリアの反核キャンペーンで知り合った市民団体のメンバーの居住地を訪ねた。予定していた放射線被害者には手違いで会えなかった。しかし、住民たちが直面するもう一つの危険な現実を目の当たりにした。

 近郊の黒人居住区は四カ所。どれも強制移住によって生まれた。アトリッジビルへの強制移住は一九六二年に始まった。アパルトヘイト(人種隔離政策)撤廃後、移住は自由になったが、大半は他へ移り住むだけの余裕がない。

 一角にバラック小屋が並ぶ区画がある。職を探して都市部に流れてきた「不法居住者」のキャンプだ。「まるで被爆直後の広島じゃのう」。被爆者の寺本貴司さん(69)が思わずつぶやいた。

軒先に危険■

 キャンプ一帯はかつて軍の演習場だった。九四年の民主化後に放置され、不法居住者が住み着いた。路地の一つは「地雷ストリート」と呼ばれていた。

 「雨で土が流れ、不発弾が浮き出すの」。市民団体の一人オニカ・ムランゲーニさん(25)は言った。その手にはさび付いた機関砲の弾丸二発があった。二週間前の清掃奉仕活動で見つけたという。「子どもたちが不発弾を拾って遊ぶのよ。暴発事故が毎年のように起こっている」。二児の母は表情を曇らせた。

 被害者の一人ボンボニ・シソーレ君(14)の家に案内された。母エメリナさん(36)のそばに座った彼は、大人たちに促されながら、うつむいたまま小声で話し始めた。

 事件は昨年十月に起きた。友人が機関砲らしい不発弾を拾ってきて、家の軒先に埋めた。翌日、別の隠し場所に移す途中で爆発した。路上に倒れたボンボニ君の右の手のひらは消えていた。右目も失った。

全員で自問■

 事故に対する政府の補償はない。エメリナさんに事故への怒りや悲しみについて尋ねても、「何も分からない」と同じ言葉を繰り返した。そばからムランゲーニさんが言った。「事件について話すと恐怖がよみがえるの。親子ともカウンセリングが必要なのよ」

 別れ際、大人たちはボンボニ君にポケットに突っ込んだ右手を出して見せろと強く勧めた。ためらう少年にミッション参加者は「もう十分ですから」と押しとどめた。

 「悲劇を味わった広島の人なら、私たちの置かれたつらさを分かってくれるはず」「広島から伝えてもらえれば、世界の関心を呼べる」。こうした期待を、ミッション参加者はこの後も行く先々で感じることになる。

 シソーレ家を出てムランゲーニさんは言った。「被害者はあの子だけじゃない。私たちは強くならなければいけない。みんなであの子を高校に通わせなきゃ」

 居住区を離れるワゴン車の中は静かだった。参加者全員が同じ無力感と自問を抱えていた。薬剤師の津谷静子さん(49)はぽつりともらした。「うちらにできることはないんかね…」

(2004年5月11日朝刊掲載)

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