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連載・特集

広島世界平和ミッション 南アフリカ編 虹の彼方に <3> 音なき戦争

病に寄り添う邦人神父

 「差別が貧しさを、そして貧しさが『音のない戦争』を生んだ」。根本昭雄神父(72)は、広島世界平和ミッションの一行を前に、忍び寄るエイズ(後天性免疫不全症候群)との闘いを戦争に例えて言った。

 ヨハネスブルク近郊の聖フランシス・ケア・センター。エイズの末期患者を無料で治療・介護するホスピスである。成人病棟四十五床、小児病棟三十床を備える。スタッフは医師一人を含む五十人。宇都宮市出身の根本神父は、四年前からセンター長を務める。

エイズ多発■

 南アフリカの人口は約四千五百万人。そのうちエイズウイルス(HIV)感染者は約五百万人という。「国民の九人に一人の割合なんだ。治療すら受けられずに死んでいくエイズ患者も多い」と根本神父。昨年はセンターだけで三百七人の命をみとった。

 エイズ患者には政府から月七百ランド(約一万二千円)が給付される。その金は患者以上に家族にとって欠かせない生活の糧である。が、身分証明書すらなく、給付されない人も多いという。

 「ホスピスも焼け石に水のようでは…」と参加者の一人が遠慮がちに聞いた。

 「そう思うかもしれない。でも、大切なのはたとえ短時間でも苦しんでいる人の元へまず行くことだよ。同じ目線でともに苦しみ、泣き、笑えば傷ついた人も癒やせるでしょう」。根本神父はそう言うと、参加者を促して病室へと案内してくれた。

 「どこが痛むの?」。神父はポリーナ・ムテンブさん(36)の手を取り、背中をさする。全身の痛みで荒くなった息が、少し落ち着いた。

 リンディ・モタングさん(24)は昨年末、親元に五歳の息子を預けて入院した。「きちんと食事ができるし、体が楽になった」。週一回、センター内の教会に行くのが楽しみだという。「その時だけすべてを忘れて安心できるから…」。モタングさんは、神父の手をそっと握り笑みを浮かべた。

 根本神父と南アのかかわりは一九九一年にさかのぼる。最初は農村部で神父の養成に当たった。ところが、知人が次々とエイズに倒れるのを見て異変に気付いた。

 しかし、南ア社会の反応は鈍かった。「アパルトヘイト(人種隔離政策)を撤廃して平和な国をつくることに必死だった。マスコミをはじめエイズを見過ごしてしまった」と振り返る。

犠牲は弱者■

 夕食時、大学助教授の藤本義彦さん(39)は子どもの患者の口元にスプーンを運んだ。「今、自分にできるのはこれぐらい」。四歳と一歳のマイホームパパ。育児も熱心なだけに手際がいい。

 国際政治学者として反アパルトヘイト運動を研究してきた。日本平和学会の理事でもある。これまでもこうした現場に直接立ち会った体験はある。「いつも思うのは、エイズも貧困も戦争も、最も悲惨なことは子どもたちのような弱者に集中する」とやるせなさそうに言った。

 根本神父も「貧困や差別と原爆投下は、人を人として見なさなかった結果。根っこでつながっている」と強調する。

 日本から遠く離れたアフリカで息の長い活動を続ける根本神父。その姿に、参加者は大きな励ましと勇気を与えられた。

(2004年5月12日朝刊掲載)

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