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連載・特集

近代発 見果てぬ民主Ⅰ <6> 公論の器

新聞優遇 「民権」の波全国に

 明治7(1874)年1月18日付の左院御用「日新真事誌」は新聞史上に残る紙面となる。士族8人連名で17日、民撰(みんせん)議院設立建白書を左院に提出したとの速報。1面下からの「建言」欄に全文掲載した。

 現政府を有司(政府首脳)専制と批判し、「天下の公議を張る」ために民撰議院の設立を求めた。前年に木戸孝允(たかよし)が出した憲法制定の建言書で想定する官選議員でなく、選挙での議員選出を主張する。

 8人のうち板垣退助と後藤象二郎、江藤新平、副島種臣の4人は前年の征韓論政変で下野した元参議。政府を揺さぶる権力闘争でもあったが、同紙経営者の英国人ジョン・R・ブラックによる賛否論争の紙面づくりが反響を呼ぶ。

 同紙上に早速、洋学者加藤弘之の時期尚早論が載った。政府の収税権や臣民の軍役義務の由来さえ知らない人が多く、教育で人民の意識を高めるのが先決との主張である。

 板垣らも紙上で反論した。民撰議員を選ぶ権利は士族や豪農商など維新の功臣を出した者に限るとの「上流民権」の立場からだった。

 より根源的な加藤への反論はフランス民権思想を学んだ大井憲太郎の筆による。決定の過程に関与することで人々は成長し、議論に関与することによってその結果に納得して従うとの論陣を張った。

 新聞の大切さに早くから気づいていたのは木戸である。時には政府批判も可とする月2回の「新聞雑誌」を明治4(71)年5月に創刊させた。政治、経済、文化から外報まで幅広い記事を載せ、廃藩置県への世論誘導も試みた。

 これが呼び水となり以後2、3年で東京日日、郵便報知新聞など百数十紙が生まれる。文明開化を進める政府や地方官庁も新聞購読を奨励した。各紙投書欄への投稿の郵送料は無料という優遇ぶりだった。  新聞という器を得て公論(公共の議論)の花が咲く。自由民権運動の波は郵送紙面を通じて全国に広がった。小田県安那郡粟根村(現福山市加茂町)の医師窪田次郎も新聞を読んで時の情勢を知り、投稿を通じて運動に加わっていく。(山城滋)

ジョン・R・ブラック
 1826~80年。明治5年に日刊の日新真事誌を創刊。左院議事録が掲載できる左院御用の特典を得た。治外法権に守られ自由な紙面作りをしたが、政府の策略で新聞界から追放された。

(2021年11月30日朝刊掲載)

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