×

連載・特集

広島世界平和ミッション 南アフリカ編 虹の彼方に <6> 核廃棄 人間性回復 広島で認識

 拳銃で武装した警備員が立つゲートをくぐり坂道を上ると、デクラーク財団のオフィスビルがあった。広島世界平和ミッションの一行が通された二階の応接室からは、ケープタウンの街の中心部が一望できた。

 「訪米中のデクラーク氏が、みなさんに会えないのを非常に残念がっていた」。白髪に端正な顔立ちの財団ディレクター、デイブ・スチュワードさん(58)が、あいさつ代わりに言った。

 南アフリカ共和国の核兵器廃棄を決断したフレデリク・デクラーク元大統領の秘書。一九八九年に大統領に選出される前からの盟友であり、核兵器廃棄の過程を最も近くで見守った一人である。

 「核兵器廃棄への決断の理由は?」とのメンバーの問いに、スチュワードさんは「時代を敏感に感じ取っての結果だ」と振り返った。東西冷戦が終わって周辺諸国の脅威が消え、アパルトヘイト(人種隔離政策)への批判が強まるなかで、国際社会へ復帰するには「大統領も私も『核もアパルトヘイトも廃棄するしかない』と判断した」という。

 そして、彼はその決断の正しさを、九六年に初めて広島市を訪れ、原爆資料館(中区)などで被害の実態に触れ、あらためて認識したと打ち明けた。

威力を実感■

 「第二次世界大戦では焼夷(しょうい)弾による空爆でドイツのハンブルグやドレスデン、そして東京でも、街の破壊や犠牲者の数だけで言えば広島と変わらないほど。でも、核兵器はやはり違うのだよ」

 スチュワードさんは、その違いとして一発の破壊力のすさまじさと長く続く放射線の影響を挙げた。「南アが保有していた核兵器一個の威力は二十キロトン余りだった。広島よりやや大きいということが何を意味するのか、被爆地を訪れるまで私には実感できなかった」

 デクラーク元大統領も翌九七年、夫人と広島を訪問した。「デクラーク氏も私と同じことを感じた。われわれは核廃棄へのステップを一つの勇気ある政治決断だと思ってきた。しかし、考えてみればそれを持つこと自体がすでに人間性を失った行為だと気づいた」

 核抑止力についても「その考え自体が非常に危険で、間違っている」と、カシミールの領有権をめぐって核対峙(たいじ)するインドとパキスタンを例に挙げた。

保有は狂気■

 「両国とも核兵器を保有して戦争の可能性は少なくなったと思っている。だが、それは幻想だ。紛争が続く限り、使用される可能性は高いし、双方が力で勝利が得られると思っているうちは紛争も解決しない」

 核兵器を捨てた経験から今はこう断言する。「トライデント型潜水艦一隻で、広島の原爆より二十倍も破壊力のある核弾頭を一度に約百三十都市も攻撃できる。核保有自体が狂気のさただ」

 薬剤師の津谷静子(49)さんをはじめ平和ミッションのメンバーは、かつて核兵器を保有していた最高責任者の側近からこんな言葉を耳にするとは想像もしていなかった。核保有を口にする日本の政治家がいる時代だけになおさらである。

 そしてスチュワードさんが別れ際に言った言葉の意味を、メンバー一人ひとりがあらためてかみしめた。

 「広島・長崎を体験した日本人は、世界に核兵器廃絶を訴える道徳的な権威を有している。核廃絶、平和へのヒロシマの影響力は大きい。世界に向けた被爆地からの行動をさらに強めてほしい」

(2004年5月16日朝刊掲載)

年別アーカイブ