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連載・特集

広島世界平和ミッション イラン編―化学兵器被害の実態 「第二のヒロシマ」傷深く

無差別攻撃…5000人なお後遺症

国境の街「地獄になった」

 「セカンド(第二の)・ヒロシマ」。人々は自らの町をそう呼んだ。

 イラク国境にほど近いイラン北西部のサルダシュト市。広島世界平和ミッション(広島国際文化財団主催)第一陣のメンバー五人は、毒ガス攻撃を受けた辺境の地に住む被害者や遺族と触れ合い、被害の実態に衝撃を受けた。

 イラン・イラク戦争中の一九八七年六月、市街地とその周辺に七発の毒ガス爆弾がイラク機から撃ち込まれた。うち四発が居住地域に着弾。噴き出したマスタードガスが街中に広がり、百十人の命が奪われた。

 当時、約一万二千人のクルド人が住んでいた。うち約五千人が十七年を経た今もなお、呼吸不全や角膜の混濁、皮膚の障害などの重い後遺症に苦しむ。肺がんなどで亡くなる人も後を絶たない。

 二十歳の男性は入退院を繰り返してきた。十一人の家族は次々と亡くなり、今では父と二人だけ。別の被害者(65)は「町はサクランボやリンゴの名産地だった。でも、あの日から地獄になった」とつぶやいた。

 イランは戦争中、イラクから約三百回の毒ガス攻撃を受けた。主には体の粘膜を焼けただれさせるマスタードガスが使われた。被害者の支援団体によると当時五千人余が亡くなり、約一万人が負傷。四万五千人が今も後遺症に苦しんでいるという。

 サルダシュトに軍施設はなかった。民間人が無差別に狙われた攻撃としては、世界でも有数の被害を生み、ヒロシマの悲劇と重なる。

 しかし、この悲劇は長く封印されてきた。「政府は国民が事実を知って恐れをなし、戦意がそがれるのを懸念した。このため被害を正確に伝えなかった」(イラン外務省化学兵器軍縮担当者)という国内事情があった。

 一方で米国など西側陣営はイラク側に肩入れし、被害を積極的には公表しなかった。今では米ブッシュ政権から「悪の枢軸」呼ばわりされるなど国際的な孤立感は否めない。こうしてイランの問題点ばかりが強調され、山あいの被害者が顧みられる機会はほとんどなかった。

 「広島の人たちが来てくれてうれしい。同じ悲劇が繰り返されないように手を携えたい」。被害者や遺族は、原爆の被害を伝えた平和ミッションのメンバーと思いを分かち合った。(文と写真・岡田浩一)

(2004年5月30日朝刊掲載)

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