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連載・特集

広島世界平和ミッション イラン編 ベールの向こう <3> 交流の芽 悲劇伝える使命を共有

 「毒ガスの被害を訴えるために、私は生き続ける」。エムレン・ジャンギドゥストさん(19)は、そう言うと激しくせき込んだ。

 テヘラン市内中心部のササン総合病院九階の一室。サルダシュト市から首都に戻った広島世界平和ミッションの一行は、特に毒ガス後遺症の重症患者が入院するこの病院で青年に出会った。

 ジャンギドゥストさんもサルダシュト出身である。一週間前、息ができなくなり緊急入院した。

 古里がイラク機による毒ガス攻撃を受けたのは一九八七年。二歳だった。しかし、すでに家族十一人のうち九人が死亡、父と二人だけが残った。同じ地区に住む他の五十七人も後遺症などで相次いで亡くなり、今では七人に減った。

重い後遺症■

 特に子どもたちは爆撃におびえて泣き、マスタードガスを多量に吸った。このため重い後遺症が目立つ。ジャンギドゥストさんも酸素ボンベを手放せない。

 彼は被爆者の寺本貴司さん(69)に尋ねた。「幼いころから入退院の繰り返しで、普通の生活は送れていない。被爆者で大学に通えた人はいますか」。同じ悲劇を繰り返さないために、大学で化学兵器について学び、本を書くのが将来の夢だからだ。

 「大学へ行った被爆者もいるよ。あなたも気力で病気を克服して願いをかなえんさいよ」。寺本さんの精いっぱいの励ましの言葉だった。

 英語が話せるジャンギドゥストさんに寺本さんの言葉を通訳していた大学四年の荊尾(かたらお)遥さん(21)。彼女は同世代の患者を前に、化学兵器の残虐性を一層切実に受けとめた。と同時に積極的に生きようとするその姿に心を揺さぶられた。

 「平和活動をしていると、なかなか平和が達成できない現実に無力さを感じることもある。でも彼は絶望していない。私の方が勇気づけられた」

 荊尾さんは六月に広島市内の母校の中学校で教育実習をする。「授業でこの経験を伝え、生徒たちの心に平和の種をまきたい」との思いが膨らむ。

 サルダシュト市やササン総合病院の訪問が実現したのは、化学兵器被害者支援協会(SCWVS)代表を務める医師のシャリアール・ハテリさん(33)の協力が大きい。協会は医師や弁護士、被害者ら約五十人が三年前に設立した。

 被害調査、心理ケアのための夏の合宿、記念日の式典などに取り組む。ハテリさんは昨年、ジャンギドゥストさんとオランダ・ハーグであった化学兵器禁止機関(OPCW)の国際会議にも出席。化学兵器の非人道性を強く訴えた。

ぜひ広島に■

 ハテリさんは、特にマスタードガスの長期にわたる影響を懸念する。「この毒ガスは人間をその場で殺すのではなく、長期間苦しめることを狙った残忍な兵器だ。イランでは今後十年で後遺症が現れたり、亡くなる人がさらに増える」とみる。

 さらに、毒ガスは遺伝子を傷つけるため、被害者の子どもへの影響も恐れる。「研究成果はまだ出ていないが、免疫力の弱い子が目立つ。ぜひ、日本の大学と連携して研究を進めたい」と願う。

 ササン総合病院の訪問後、平和ミッションが持参した被爆写真やビデオの一部をお礼に託した。ハテリさんは「化学兵器展と原爆展を一緒に開くよ。被害者と一緒に広島の平和祈念式にも参列したい」と、今夏の被爆地訪問と交流への期待を強くにじませた。

(2004年6月2日朝刊掲載)

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