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連載・特集

広島世界平和ミッション 第一陣メンバー座談会 ヒロシマの役割 再認識

出席者

被爆者   寺本貴司さん(69)=広島県大野町
薬剤師   津谷静子さん(49)=広島市東区
大学助教授 藤本義彦さん(39)=西区
専門学校生 小山顕さん(25)=東区
大学4年  荊尾遥さん(21)=東京都小平市

聞き手 中国新聞特別編集委員 田城明

 被爆地から「平和と和解の精神」を世界に伝える広島世界平和ミッション(広島国際文化財団主催)の第一陣は、3月25日から3週間余、南アフリカ共和国とイランを訪問した。世界で唯一、核兵器の廃棄を実現した南アでは政府関係者や核技術者、市民らと対話を重ね、学校などで原爆被害の実態を紹介した。その傍ら民主化後も続く黒人の貧困、エイズ禍などの深刻な実態にも触れた。イランでは1987年に、イラクからの毒ガス弾攻撃を受けたサルダシュト市で、今なお後遺症に苦しむ多くの被害者と痛みを分かち合った。こうした体験を通して第一陣のメンバー5人は、平和実現に向け「ヒロシマの役割」の大きさにあらためて気付いた。旅の印象や教訓、今後ミッションの体験をどう生かすかなどについてそれぞれに語ってもらった<文中敬称略>。(平和ミッション取材班)

南ア・イランの印象

「和解の精神」は共通 荊尾さん
広島に高い関心 驚き 藤本さん
過激派イメージ覆る  小山さん

  ―南アフリカとイランを訪問して、どのような印象を持ちましたか。
 小山 南アは世界で核兵器を保有しながらその後に廃棄した唯一の国として興味があった。ただ、その決定はごく一部の政治指導者によってなされた。平和交流で出会った人々の大半が、自国が核兵器を保有していたことすら知らなかったのは驚きだった。

 寺本 私にとって南アのヨハネスブルクのホスピスで、エイズ(後天性免疫不全症候群)に苦しむ子どもたちと出会ったり、アパルトヘイト(人種隔離政策)撤廃後も続く黒人たちの貧しい生活実態を目の当たりにしたのはショックだった。

 荊尾 同感です。しかし、そんな厳しい生活環境にある多くの黒人たちが、アパルトヘイト時代の「負の遺産」を対話で乗り越えようとしていた。加害者に対する彼らの「和解の精神」が、ヒロシマと共通しているのを知ることは新鮮だった。

 藤本 初めて訪れたイランは、イメージとまったく異なっていた。二〇〇二年にブッシュ米大統領が一般教書演説でイランを「悪の枢軸」と呼んだ。それ以降、多くの日本人はイランを危険視していた。

 ところが、毒ガス弾の無差別攻撃を受けたサルダシュト市では、地元の人が「セカンド(第二の)・ヒロシマ」と自分の町を呼ぶほど、広島に関心を寄せていることを知って驚いた。現地の痛みを学べたことは今後の糧になる。

 小山 藤本さんの指摘通り、偏った報道などによって、イランに対してイスラム過激派やテロなどの悪いイメージがまとわり付いてますよね。街の治安なんか、南アよりうんと良い。正しい判断を下すには、もっとさまざまな方面から情報を集めないと…。

 寺本 正直、イランの人々の豊かなもてなしの心には感心した。

 津谷 確かに南アでもイランでも行く先々で温かい歓迎と熱いまなざしを受けた。これは決して思い上がりではなく、世界の多くの地で「ヒロシマ」との接点を求めている人々が大勢いるということを自覚した。被爆地広島が世界に役立つためにどういう姿勢で臨めばいいのか、いろいろと考えさせられた。

被爆実態どう伝える

実情 相互に学ぶ必要 荊尾さん
恨み克服する姿 教訓 津谷さん
根幹は人権 重み訴え 寺本さん

  ―それは原爆被害の実態など、ヒロシマをどう伝えればいいかということとつながりますね。
 荊尾 やはり原爆の惨禍を一方的に訴えるだけでは、受け手は「ああそうですか」で終わってしまいがちだ。先方も私たちに知ってほしいことがある。互いの実情を学び合うインターアクション(相互作用)があると、きずなはさらに深まると感じた。

 津谷 その通りだと思う。ヨハネスブルクの黒人居住区の教会で聞いた美しい合唱とともに、一人の信者の言葉が強く心に残っている。彼女は「アパルトヘイト時代の白人の罪を許さなかったら、子どもの時代まで争いが続く。だから許した」と話していた。

 忘れられない恨みや痛みを、平和のために乗り越えようとする人間の姿に感動した。自分の人生にとっても大切な教訓を得た。

 寺本 広島にとって核兵器廃絶は最も重要な目標だが、貧困やエイズなどの厳しい現実を前に、世界には平和実現のために解決すべき問題がほかにもあることを痛感する。

 私は平和ミッションの途中から、被爆体験を語るときに人権の重みに触れるように心掛けた。原爆も毒ガス被害も、アパルトヘイトも、人を人とも思わない心が招いた悲劇だ。根っこのところではつながっている。

 荊尾 南アでは被爆体験を語る寺本さんの通訳を引き受けたが、首都にあるプレトリア大教育学部の同世代の前では、思わず涙で言葉が詰まってしまった。

 通訳としてはよくないかもしれないけれど、その話を聞いた一人の学生から後に電子メールをもらった。それには「寺本さんの証言を聞いて、被害を受けた人々の痛みや悲しみについて考え始めた」とあった。理屈ばかりではなく、感情面に訴えかけることも大切だと知った。

体験生かすには

8・6式典受け入れ準備 津谷さん
教育と文化がカギに   小山さん
現地写真 講義に活用  藤本さん
また海外で直接対話   寺本さん

  ―帰国して約一カ月半が経ちました。荊尾さんのようにすでに訪問先で出会った人々からの連絡も届いているようですが、今回の体験を今後どう生かしますか。
 津谷 テヘランにある化学兵器被害者支援協会の代表者(33)から早速、毒ガス弾の被害者数人と一緒に今夏の広島市の平和記念式典に参加したいというファクスが届いた。平和ミッションのメンバーと市民で実行委員会を立ち上げてぜひ受け入れたい。これから交流の目的や内容をさらに詰めていきたい。

 藤本 イラン・イラク戦争中の化学兵器被害は当時、国連へも報告された。しかし、日本を含む他の国々はイランの政治宣伝と判断して、あまり注意を払わなかった。広島を通じて、国際社会に今なお続く毒ガス被害の実情を訴えるのは意義深い。

 小山 平和づくりの方法として、旅の間に見つけたキーワードは教育と文化。いままで文化的なかかわりを持ったことが一度もないので、当面は裏方に徹するつもり。とっかかりとして今年八月に米国で上演される音楽劇の脚本の英訳ボランティアを始めた。

 寺本 私は広島で修学旅行生らに証言する際に、核兵器廃絶に加えて差別やいじめをなくす身近な平和づくりが、大きな平和につながることを伝えていきたい。時間的余裕があるときは、南アやイランで見てきたことも加えたいと思っている。

  ―大学で教えている藤本さんの場合はどうですか。
 藤本 私は帰国後、広島経済大(安佐南区)で担当している平和学の授業内容を大幅に見直した。前期計十五回のうち二回を南ア、三回をイランを中心にした中東情勢に割いた。

 現地で撮った写真を示しながら、生の体験を講義に織り込むと学生にも説得力がある。構造的な暴力である貧困や紛争など、平和を脅かすさまざまな問題の解決なしには平和の実現はない、と訴えたい。

 荊尾 通っている津田塾大(東京都小平市)の大学祭で「対話」をテーマに写真展と講演会を企画したグループ十人に、平和ミッションの報告会を開いた。「テレビのニュースだけでは、世界で起こる惨状がピンとこない」という友人たちも、私が話すことでより身近に感じてくれたようだ。こういった機会をもっとつくりたい。

 南アやイランで知り合った同世代の女性ともメールのやりとりが続いている。テヘランの知人は「イラン人の本当の姿を、日本の同世代に伝えて」と繰り返していた。こうしたつながりを、ずっと絶やさないでいたい。

 小山 私も出身校の広島修道大(安佐南区)で授業に招かれ、約六十人の後輩に自分の体験を話した。熱心にメモを取ってくれた。

 藤本 大学以外では、市民団体の広島アフリカ講座で今年の夏に、今回の旅の報告と音楽、料理を紹介する「アフリカデー」を開きたいと思っている。

 寺本 今回の経験で、世界にヒロシマを伝え、現地の問題を学ぶアクションが求められていることをあらためて感じた。理解を深め合えば、核兵器や戦争、テロをなくそうという輪が広がり、訴える力も強くなる。機会があれば、また海外に出かけて直接対話をしたい。

てらもと・たかし
 広瀬国民学校5年の時に被爆。98年から原爆資料館のボランティアガイドなど平和活動に打ち込む。広島市中区出身。

つや・しずこ
 夫の内科クリニックで薬剤師を務める傍ら、「モーストの会」会長として医療支援に当たる。新潟県柏崎市出身。

ふじもと・よしひこ
 93―95年、南アのヨハネスブルクの大学に留学。99年から広島経済大助教授(アフリカ政治学)。広島市安芸区出身。

こやま・あきら
 02年に広島修道大卒業後、広島外語専門学校へ。英語講師などのアルバイトをしながら、英語を学ぶ。広島市西区出身。

かたらお・はるか
 津田塾大で国際関係学を学ぶ傍ら、「世界学生会議」の実行委や平和活動に取り組む。広島市安佐北区出身。

(2004年6月5日朝刊掲載)

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