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連載・特集

広島世界平和ミッション 第二陣の思い <1> 福島和男さん(72) 広島市佐伯区坪井

勇気出し被爆を語る

 広島国際文化財団が提唱する「広島世界平和ミッション」の第二陣が、十九日から中国と韓国を巡る。ヒロシマにとって被爆六十周年の来年は、中国は「抗日戦争勝利」、韓国は「光復(日本の植民地支配からの解放)」六十周年である。互いの歴史を見つめ、未来を探る第二陣の旅の出発を前に、メンバー五人の横顔と思いを紹介する。

 被爆体験を五十八年ぶりに人前で話した。昨年の八月六日、東京都新宿区の「平和派遣」で訪れた親子十四人と、広島市中区の本川小PTAとの交流会。証言をしてもらえないかとの要請に、ためらいが先に立った。

 「できるならこらえてほしい。悪夢は思い出したくないからねぇ…」。中学二年生だった福島少年は、あの朝いつものようにゲートルを巻いて、西区にあった容器工場へ学徒動員で出た。自宅は本川小の対岸、現在の平和記念公園にあり、旅館を営む両親と祖父母、叔母と暮らしていた。

 被爆後、巨大なきのこ雲から降り注ぐ「黒い雨」をついて、自宅を目指した。両親らは全員そこで亡くなっていた。結婚して河原町に住んでいた姉の行方は分からずじまいとなった。

 「私は、三人の息子が大きくなっても話す気になれん。原爆反対と声高に叫ぶ運動は好きじゃない」。押し抱く胸のうちをのぞかせた。中国新聞社の制作部門で働き、十二年前に退職。平和記念公園での花見だけは、上司から誘われても行く気になれなかった。苦笑いで明かした。

 町名も消えた「古里」の旧中島本町。遺族らが一九五六年公園内に設けた「平和乃観音像」の前で営む慰霊祭への出席は欠かさない。昨年はその足で交流会へ赴いた。

 一時間あまりの証言。戦争の無残さを受け止めようとする真剣な姿に接した。「話してみたところで…」。自分の中のかたまりが溶けていくのに気づいた。ミッションの呼びかけに応じたのは、昨年の経験からという。

 「原爆を落とした米国を恨む気持ちが消えてなくなるわけじゃないが、どう変わったのか。勇気を持って話してみたい。中国や韓国の人の話も聞いてみたい」。戦中派としての思いが重なる。

 趣味で瓢箪(ひょうたん)を作る。「平和」の文字を添え、今回の旅に携えるつもりだ。

(2004年6月7日朝刊掲載)

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